私の思いと技術的覚え書き

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日本人の劣化 その2

2020-04-15 | コラム
 前回述べた様に、我が拙人の社会人40年を経た現在の端的な感想として、この40年だけでも確実に旧来の日本人たる歴史哲学としての正義は失われていっている様に回想せざるを得ない。そんな思いを込め、その2として書き留めたい。

 それは、イジメ、パワハラ等の蔓延のことだ。もっと広げて云えば、人種を含めて様々な要因からの差別と云うこともあろう。

 これらの問題については、先人たる諸先輩や近代史、そして拙人自身が体験した40年からも増えつつあるのだが、昔からコトは起きていたと思えるのだ。それが、現在の様に被害者が自殺したりと社会問題化するまにはならなかったのは何故なのだろうか。

 それは、組織などの中で、イジメやパワハラが生じると、周辺の総てが見て見ぬ振りするのが現代であるが、現代でも名残はあるが、昔はもっと、周辺に諫め抑止しようとする正義というものがあったのだと感じる。

 このことを江戸時代の制度で表してみると、江戸時代は国は現在の県より小さい班だとか殿様の自治領として成立していたのだが、法整備も現代と比べれば十分ではなく、自治領の外になると報の執行もままならないという状態であった。その矛盾を解消する意味もあり「仇討ち」という制度があったのだ。つまり仇討ちを許されると、そのリスクは本人と協力者の個人的リスクとして、自治領の外でも果たすことを可能として、法の未整備を補っていたのだろう。

 つまり、現代のイジメだとかパワハラ、そして差別などは、現代の様に皆が総て見て見ぬ振りするんではなく、その中には仇討ちする勇者がいたのだろうと思っている。ところが、現代社会は法整備もそれなりになされ、一方組織体のコンプライアンスなどと云う掛け声も官主導で取り入られてきたが、これらの問題にはほとんど意味ないこととなってしまったのだ。

 なんでこの様に社会正義だとか皆の助け合いの精神が失われて来たのだろうか。その理由は幾らも思い当たるが、思い付くことを以下に記してみる。

・自由主義から個人主義の意識が高まり過ぎ、一方個人責任が強く問われる世になったこと。
・今だけ、金だけ、自分だけという言葉が表す様に、自分が被害なければ良いとする意識の蔓延。
・長引くデフレの継続により、企業存続を維持する余裕感と云うものが失われてしまった。
・労働組合の弱体化により、本来は問題を抑止できたことが、その様な問題に労働組合は関わろうとしなくなったこと。
・正規、非正規、契約社員、派遣社員などの勤務形態の多様化により、さほどの業務の違いとは異なる大きな報酬の差異が生じてきたこと。
・まだまだありそうだが、ここまでとしておく。


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