河野太郎を見ていて思うこと
齡65の私だが、多少なりとも言葉を交わしてきたおそらく万を超える人々との交流の中で、その顔付きとか言動から、忌避する思いを生じるタイプだろう。この手の顔だとか言動を行う人物は、過去の触れ合って来た中にいたが、過剰に事故の手柄を追求しそれをアピールするタイプと云えよう。私は、問題解明とか解決の能力は評価するが、功名だけを追求する者を見ると否定し続けて来た。
さて、過去から河野太郎坊を見つめているのだが、オヤジの一郎氏の戦争を知る者としての意見に対し、戦争を知らない無知さが現れている様に思える。もう少し云うと、私自身は太郎坊より少し上の世代だが、それでも戦争を知らない世代だ。しかも、若い頃から読書好きだったのだが、司馬遼太郎本を少なくとも30冊は当時は好んで読み続けてきた。その中で過重に明治思想から昭和の大戦前の思想に肯定的な思いに至った様に思える。
そんな思いの中、読書思考が広がりつつ司馬作品から離れ、好む作家は池波正太郎とか論評家の江藤淳とか西部邁、西尾幹事各氏の論評を読み進める中、私の思考は司馬遼太郎の表す文章に否定的に変化して来たのだ。
その変化とは、世の出来事の核心とは右翼とか左翼とか云うことより、デモクラシー(民主主義)が如何に大事なことであるのかと云うことだ。そして、それを補佐もしくは保障していくためには、公明正大な選挙の確保、権力者の説明責任のまっとう、権力を疑い質すジャーナリズムの大切さ、そして言論の自由と云うのが如何に大切かという思いを持つに至っているのだ。
そんな思いからすると、太郎坊は未だ司馬遼太郎の世界から抜け出ていない、正に坊の世界にいるように思える。しかも、太郎坊に限らずだが、最近の私と同世代もシクは若干若い政治家は、自己が目立とうということばかりが目に付き、本当に日本国民の未来永劫の幸福を思う心が失われている様に思える。
齡65の私だが、多少なりとも言葉を交わしてきたおそらく万を超える人々との交流の中で、その顔付きとか言動から、忌避する思いを生じるタイプだろう。この手の顔だとか言動を行う人物は、過去の触れ合って来た中にいたが、過剰に事故の手柄を追求しそれをアピールするタイプと云えよう。私は、問題解明とか解決の能力は評価するが、功名だけを追求する者を見ると否定し続けて来た。
さて、過去から河野太郎坊を見つめているのだが、オヤジの一郎氏の戦争を知る者としての意見に対し、戦争を知らない無知さが現れている様に思える。もう少し云うと、私自身は太郎坊より少し上の世代だが、それでも戦争を知らない世代だ。しかも、若い頃から読書好きだったのだが、司馬遼太郎本を少なくとも30冊は当時は好んで読み続けてきた。その中で過重に明治思想から昭和の大戦前の思想に肯定的な思いに至った様に思える。
そんな思いの中、読書思考が広がりつつ司馬作品から離れ、好む作家は池波正太郎とか論評家の江藤淳とか西部邁、西尾幹事各氏の論評を読み進める中、私の思考は司馬遼太郎の表す文章に否定的に変化して来たのだ。
その変化とは、世の出来事の核心とは右翼とか左翼とか云うことより、デモクラシー(民主主義)が如何に大事なことであるのかと云うことだ。そして、それを補佐もしくは保障していくためには、公明正大な選挙の確保、権力者の説明責任のまっとう、権力を疑い質すジャーナリズムの大切さ、そして言論の自由と云うのが如何に大切かという思いを持つに至っているのだ。
そんな思いからすると、太郎坊は未だ司馬遼太郎の世界から抜け出ていない、正に坊の世界にいるように思える。しかも、太郎坊に限らずだが、最近の私と同世代もシクは若干若い政治家は、自己が目立とうということばかりが目に付き、本当に日本国民の未来永劫の幸福を思う心が失われている様に思える。