goo blog サービス終了のお知らせ 

 私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

保険の不公平

2011-09-07 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 この世に保険という制度が生まれたのは、ヨーロッパ中世の大航海時代、コロンブスとかマゼラン達が新しい金の種を求め、勇躍世界を探索し始めた時代に遡ると云われています。当時の船主や投資家達は、出港した船が、難破などして未帰還となるこ事例も多く、、一か八かの博打を来り返していたのであり、博打に負け破産する投資家も多かったことでしょう。そんな中、その様な博打的リスクを少しでも軽減しいという要請から、海運保険に類似したものが生まれたのが保険の始まりと聞いています。しかし、想像するに。それ以前から、リスクある労務に対し、そのリスクを一定軽減する目的で、失敗した場合の保証などは行われていたということは存在したのだとも想像されます。何れにしても、保険というシステムが始まったのは、大航海時代のことではある様です。

 さて、翻って現代、損害保険会社の取り扱う保険集品は、火災保険や傷害保険を含め世の多くのリスクをカバーリングする多種の保険種目が設定されています。その中で、間違いなくトップシェアを持つのはが自動車保険なのです。

 ところで保険制度の前提とは、善意の多数の契約者から保険料を集めプールし、偶然外来の事故リスクに対し、公正妥当な保険金お支払いを行い、持って保険契約者のリスクを回避するというものだと思います。

 しかし、振り込め詐欺ではないですが、世には金のためにはモラルなんてまったくなき者も存在するのは紛れもない事実です。また、支払いを行う保険会社も何処まで公正妥当への努力を行っているかは、甚だ疑問なことと感じ続けています。

 例えば、以前にも記したことですが、近年各保険会社で用意している対物超過担保特約保険ですが、被害物件の物の価値(車であれば時価額)を一定範囲まで(大概50万円)超えて支払うということは、損害賠償としての基本理念を逸脱したものと思えます。これは、損害賠償の限度額が時価額が限度となるという最高裁判決の判断を狂わすことであるし、被害者から見た場合、加害者が対物超過保険の加入の有無によって実質の損害賠償額の差異がが生じるという不公平を生むからでもあります。なお、時価額については、保険会社が判断するものが、何時の場合も正しいものであるとは限らないことは云うまでもないことでしょう。実務においては様々な考え方による時価額の判断が求められることでしょう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。