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南州翁と我が国統治体制の夢物語

2011-09-23 | コラム
 南州翁とは西郷隆盛のことを指します。このところ、複数の知人と上野公園の西郷隆盛像のことが話題になったりして、改めて西郷翁と云う政治家・軍略家について思うところを書き記してみます。

 250年余の長きに及んだ江戸時代から、明治維新という新たな時代と成った最大の功労者は西郷隆盛翁であるところは衆目の一致するところでしょう。この翁のことについては、多数の小説家などがその人生を描いています。それら小説の全てを読んだ訳ではないのはもちろんですが、司馬遼太郎氏(翔ぶが如く
)と池波正太郎氏(西郷隆盛)の2つは読んでいますが、ずいぶんと描かれる翁の姿が異なるのは、著者の思いの差として面白いところであると感じています。

 司馬遼太郎氏は、明治維新が成って、翁の頭の中は空っぽであったかのような文意を書き表しています。つまり、何ら新体制の理想を持たず政治家として失格であったかの様に語っているのです。対して池波正太郎氏の語る翁の姿は、その様なニュアンスは感じられません。

 明治維新後、新体制の基礎を作った功労者は、西郷翁の幼友達ともなる大久保利通であることは間違いないところでしょう。この大久保と西郷ですが、往時も現在も国民の人気度という点からは、圧倒的に西郷が圧勝であることは間違いないと感じられます。上野公園の西郷像を見に行く方は多いですが、全国の何処かに大久保像があるのかもしれませんが、あったとしても見に行く方は少ないのではないでしょうか。政治家に能力として何が必用かと考えた時、圧倒する人気度すなわちカリスマ的要素も大きな一つであることは間違いないでしょう。そういう点で、田中角栄氏以後の現代政治家は、カリスマ的要素は欠落していると感じます。

 維新後の新体制に戻りますが、新体制は当時のイギリス、フランス、ドイツに多くを学び、法体系、政治体系、軍事体系、そして思想などを真似て来た訳ですが、そんな中で必要以上に我が国独自が築き上げてきた良き思想みたいなものを捨て去ってしまった様にも想像されるのです。歴史に if はないと云われていますが、仮に西郷翁が新政府を見限って去ることなく、大久保などと共に新体制の基礎を築き上げ続けていたとしたら、現代の対米隷属みたいな政治思想や、東京大学を中心とした学閥エリート達の統治体制とは異なったものになったのではないかもしれないなどと夢物語を思うのです。

※写真は上野公園の西郷隆盛像



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