私の思いと技術的覚え書き

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奇妙な既視感のこと(労基と組合の対応類似性)

2018-04-17 | コラム
 整備実務と離れるが、労働者たる立場とか、ディーラーなどでは労働組合もあるだろうから縁ある話としてお許しあれ。

 このところ、自己の副業たるアルバイト先の労働問題(詳細は省略)について、労働基準監督署と連絡を取り訪問したのだ。当初の電話内容でまずは揉めた。ご存じの通り労働基準法とは、労働者を保護するために最低限の基準を定めた法律である。従い、この法令に抵触する問題があった場合は、使用者(経営者)が指導を受けることになる訳だ。何で揉めたかについても詳細は伏せるが、奇妙な既視感を感じ続けたというに留める。

 この既視感とは、十数年近く前に長年勤務した会社員であった際、労働組合の奴らと応酬して感じたものと、今回の労働基準監督署の担当官(労働基準監督官)が、誠に類似性のあるというか、瓜二つとも感じる返答を行ってくるのだ。では、労働組合と労働基準監督署と何処が類似しているかだが、まずは相談者の訴えを、なるべく抑止もしくは制限しようとする発言に終始するのである。これが、高い理想なんかこれっぽちもなく、どうやったら会社に良く思われ、将来の幹部候補になれるかを企んでいる組合役員であれば理解もできる。しかし、労働基準監督署は労働基準法という法令があり、その法令を厳守させるためにわざわざ公務員を割り当て、労働基準監督官には逮捕権や捜査権という国家権力まで与えている公的な機関である。それが、自ら積極的な関与をしたがらない(そう質したらそんなことはないと否定するだろうが、触れあった者が受ける感覚である)とは、なんか狂ってはいるんではなかろうか。


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