クルマからちょっと離れるが、何れもエンジンが搭載された兵器での活躍のことだから、お許し願いたい。なお、戦争を肯定する思いはまったくないが、歴史において無防備もしくは明かな戦闘力に対する見くびりが、国や個人の隷属関係に至るのは必然であり、祖国存亡のための活躍してきた軍人は英雄以外の何者でもないと思う。
一人目は、アフリカの星と呼ばれ、第二次大戦の主にアフリカ戦線(ロンメル将軍でも有名)で戦ったドイツ空軍のエースパイロットたる「ハンス・ヨヒアム・マルセイユ」氏(享年22才)のことである。同氏の4年程の軍歴において、敵撃墜機数は158機に上るという。我が国の撃墜王たるゼロ戦の坂井三郎氏が64機撃墜だから、桁違いの戦績だろう。何れにしても、戦闘機を巧みに操り、空戦による戦果を上げるためには、F1ドライバーと同様(以上か)の動体視力、反射神経、平衡感覚、頭脳と肉体の強靱さが要求されるのだろうと想像される。戦闘機とクルマでは勝手は異なれど、同氏がF1を習熟ドライビングすれば、水準を遙かに超えたタイムを叩き出すことだろう。
さて、ハンス氏が駆る戦闘機は、ドイツ空軍だから云わずと知れたメーサーシュミット(bf109)だが、同機とエンジンのことについて少し記してみる。
bf109(もしくはMe109)は旧ドイツ軍の主力戦闘機だ。ゼロ戦の様な空冷星形エンジンではなく、水冷エンジンによりプロペラスピナーから機体本体へとスムーズに続く流線型のノーズを持っている。主翼も薄くされ、最高速度や急降下(ダイブ)性能を追求した設計とのことだ。その関連で、主脚(前輪)はエンジン後部付近にマウントされ、機体外側に折りたたまれる構造になったが、主脚間のスパン(クルマで云うトレッド)が狭く、ためにランディング中の安定性が悪くて転覆事故が多かったことが記されている。
エンジンだが、型式はDB600シリーズ(DBはダイムラーベンツ:600~605)は凝りに凝った精緻な構造が採用されている。倒立(ヘッド側が下)のV12気筒エンジン、OHC4バルブヘッド機構、ヘッドガスケット廃したヘッドとブロックの一体構造、クランク軸およびコンロッドビックエンド軸受けは、オールローラーベアリングを採用、ためにクランク自体もヒルト継ぎ手による組立構造、ルブリケーション(潤滑)はドライサンプ方式、機械式過給(スーパーチャージャー)は2段変速だが1、2段間はフルードカップリングによる連続可変、機械式噴射ポンプによる筒内直接噴射(DI)と凝りに凝ったという表現に相応しいエンジンとなっている。ちなみに同型エンジンは、我が国の川崎航空機(現川崎重工)および愛知航空機(現愛知機械)にて、ライセンス生産され、川重が飛燕に、愛知が彗星に採用された。しかし、当時の我が国工作機械の未熟さにより、ドイツ本国同等の性能は出せなかった様だ。そのドイツ本国でも、大戦末期は我が国同様に物資欠乏により、高オクタンガソリンの供給が不可能となり、スペックを下回る馬力しか出せなくなった様だ。
しかし、このDB600シリーズの最終型となるDB605のスペックを見ると、ガソリンエンジンの限界とも思えるものだと感じる。総排気量35.7L、ボア×ストローク154mm×160mmというものだが、圧縮着火のディーゼルなら問題ないが、火花点火のガソリンエンジンでは、幾らツインイグニッション+直噴としても、ノッキングやデトネーションの問題が付いて廻る宿命にあったであろう。想像だが、エンジン側の要求オクタン価は120以上が要求されたろう。
ところで、何年か前に、BMWが近々登場させるとアナウンスしたが一向に登場を聞かない水噴射があるが、DBシリーズでは水+アルコール噴射として実用化されていた。通常時で1,100hp、水・アルコール噴射加給時で1,800hp近くを得ていたという。それでも、L当たり馬力に換算すれば50馬力と、現代のクルマから見れば半分ほどだ。この大きな理由は最大回転数にあり、大型ディーゼル並の3千rpm程度がリミットだったことにあろう。大径ピストンの慣性力など機械的問題もあろうが、先の火花点火エンジンの宿命たるデトネーションと、燃焼速度に遅延から高速回転に限界があったのであろう。
※メッサーシュミットの型式で、bfはバイエルン航空機を表し、これが社名変じてメッサーシュミット社でMeとなる。
2人目は、ミハエル・ヴィットマンという、旧ドイツ軍の戦車兵だ。30年の存命中(内戦役7年)、ティーゲル1型を駆り、敵戦車138両を撃破したと伝えられる男だ。ティーゲルに搭載の砲身は、88mmの高初速な(といっても1km/sec程だろう)高射砲を戦車用に転用したもので、当時としては高性能なものだった。しかし、厚板重装甲な重戦車(57t)で最高速40km/h程度と鈍重ともいえる戦車において成したというのだから知力の技だろう。エンジンは恐らくDBだろうと考えていたが、マイバッハ製で総排気量21千cc650馬力/3,000rpmと非力に感じるもの。ちなみに現行陸自の10式戦車(44t)ではエンジン馬力1,200馬力、水冷V8ディーゼルで最高速度70km/h以上となっている。なお、現行戦車の主砲は120mm滑降砲(スムーズボア)でタングステン製細径弾を初速1.6km/sec)で打ち出し、極めて高い貫通力を持つと共に、目標セット後の自動追尾機能(ロックオン)を持ち、自車の如何なる動きや相手の動きにも追随し、走行中でも高精度な発射が可能となっている。しかし、ここまでの性能向上が成されたからといえ、ヴィットマンの138両撃破が可能かと問われれば、敵戦車も同等の防護および火力性能を持っているだろうから、容易なことではないだろう。
※ 写真は追加装甲が施されたティーゲル1に乗るミハエル・ヴィットマン。
※2 ヴィットマンの活躍はYouTubeにて幾つか見ることができる。
※3 過去の日本には十分な火力を持つ戦車はなく、いいとこが歩兵進行の随行用ていどのものであった。この様な戦車で戦車戦が行われ、完膚無きまでに敗退した戦争がある。それがノモンハン事件(何故か事件と矮小化されてしまったのが歴史)の中のハルハ河東岸両軍戦車隊の戦いだ。
一人目は、アフリカの星と呼ばれ、第二次大戦の主にアフリカ戦線(ロンメル将軍でも有名)で戦ったドイツ空軍のエースパイロットたる「ハンス・ヨヒアム・マルセイユ」氏(享年22才)のことである。同氏の4年程の軍歴において、敵撃墜機数は158機に上るという。我が国の撃墜王たるゼロ戦の坂井三郎氏が64機撃墜だから、桁違いの戦績だろう。何れにしても、戦闘機を巧みに操り、空戦による戦果を上げるためには、F1ドライバーと同様(以上か)の動体視力、反射神経、平衡感覚、頭脳と肉体の強靱さが要求されるのだろうと想像される。戦闘機とクルマでは勝手は異なれど、同氏がF1を習熟ドライビングすれば、水準を遙かに超えたタイムを叩き出すことだろう。
さて、ハンス氏が駆る戦闘機は、ドイツ空軍だから云わずと知れたメーサーシュミット(bf109)だが、同機とエンジンのことについて少し記してみる。
bf109(もしくはMe109)は旧ドイツ軍の主力戦闘機だ。ゼロ戦の様な空冷星形エンジンではなく、水冷エンジンによりプロペラスピナーから機体本体へとスムーズに続く流線型のノーズを持っている。主翼も薄くされ、最高速度や急降下(ダイブ)性能を追求した設計とのことだ。その関連で、主脚(前輪)はエンジン後部付近にマウントされ、機体外側に折りたたまれる構造になったが、主脚間のスパン(クルマで云うトレッド)が狭く、ためにランディング中の安定性が悪くて転覆事故が多かったことが記されている。
エンジンだが、型式はDB600シリーズ(DBはダイムラーベンツ:600~605)は凝りに凝った精緻な構造が採用されている。倒立(ヘッド側が下)のV12気筒エンジン、OHC4バルブヘッド機構、ヘッドガスケット廃したヘッドとブロックの一体構造、クランク軸およびコンロッドビックエンド軸受けは、オールローラーベアリングを採用、ためにクランク自体もヒルト継ぎ手による組立構造、ルブリケーション(潤滑)はドライサンプ方式、機械式過給(スーパーチャージャー)は2段変速だが1、2段間はフルードカップリングによる連続可変、機械式噴射ポンプによる筒内直接噴射(DI)と凝りに凝ったという表現に相応しいエンジンとなっている。ちなみに同型エンジンは、我が国の川崎航空機(現川崎重工)および愛知航空機(現愛知機械)にて、ライセンス生産され、川重が飛燕に、愛知が彗星に採用された。しかし、当時の我が国工作機械の未熟さにより、ドイツ本国同等の性能は出せなかった様だ。そのドイツ本国でも、大戦末期は我が国同様に物資欠乏により、高オクタンガソリンの供給が不可能となり、スペックを下回る馬力しか出せなくなった様だ。
しかし、このDB600シリーズの最終型となるDB605のスペックを見ると、ガソリンエンジンの限界とも思えるものだと感じる。総排気量35.7L、ボア×ストローク154mm×160mmというものだが、圧縮着火のディーゼルなら問題ないが、火花点火のガソリンエンジンでは、幾らツインイグニッション+直噴としても、ノッキングやデトネーションの問題が付いて廻る宿命にあったであろう。想像だが、エンジン側の要求オクタン価は120以上が要求されたろう。
ところで、何年か前に、BMWが近々登場させるとアナウンスしたが一向に登場を聞かない水噴射があるが、DBシリーズでは水+アルコール噴射として実用化されていた。通常時で1,100hp、水・アルコール噴射加給時で1,800hp近くを得ていたという。それでも、L当たり馬力に換算すれば50馬力と、現代のクルマから見れば半分ほどだ。この大きな理由は最大回転数にあり、大型ディーゼル並の3千rpm程度がリミットだったことにあろう。大径ピストンの慣性力など機械的問題もあろうが、先の火花点火エンジンの宿命たるデトネーションと、燃焼速度に遅延から高速回転に限界があったのであろう。
※メッサーシュミットの型式で、bfはバイエルン航空機を表し、これが社名変じてメッサーシュミット社でMeとなる。
2人目は、ミハエル・ヴィットマンという、旧ドイツ軍の戦車兵だ。30年の存命中(内戦役7年)、ティーゲル1型を駆り、敵戦車138両を撃破したと伝えられる男だ。ティーゲルに搭載の砲身は、88mmの高初速な(といっても1km/sec程だろう)高射砲を戦車用に転用したもので、当時としては高性能なものだった。しかし、厚板重装甲な重戦車(57t)で最高速40km/h程度と鈍重ともいえる戦車において成したというのだから知力の技だろう。エンジンは恐らくDBだろうと考えていたが、マイバッハ製で総排気量21千cc650馬力/3,000rpmと非力に感じるもの。ちなみに現行陸自の10式戦車(44t)ではエンジン馬力1,200馬力、水冷V8ディーゼルで最高速度70km/h以上となっている。なお、現行戦車の主砲は120mm滑降砲(スムーズボア)でタングステン製細径弾を初速1.6km/sec)で打ち出し、極めて高い貫通力を持つと共に、目標セット後の自動追尾機能(ロックオン)を持ち、自車の如何なる動きや相手の動きにも追随し、走行中でも高精度な発射が可能となっている。しかし、ここまでの性能向上が成されたからといえ、ヴィットマンの138両撃破が可能かと問われれば、敵戦車も同等の防護および火力性能を持っているだろうから、容易なことではないだろう。
※ 写真は追加装甲が施されたティーゲル1に乗るミハエル・ヴィットマン。
※2 ヴィットマンの活躍はYouTubeにて幾つか見ることができる。
※3 過去の日本には十分な火力を持つ戦車はなく、いいとこが歩兵進行の随行用ていどのものであった。この様な戦車で戦車戦が行われ、完膚無きまでに敗退した戦争がある。それがノモンハン事件(何故か事件と矮小化されてしまったのが歴史)の中のハルハ河東岸両軍戦車隊の戦いだ。