【書評】捜査官-回想の中できらめく事件たち-(清水勇男著)
この本だが、題名が「捜査官」で副題に「回想の中できらめく事件たち」とある。著者名に記憶はないが元検事の様であり、ちょうど検察関係の関連本を図書館の書棚で探す中で見つけ、ついでに抜き出し借りて来て読み終えた本だ。
題名の捜査官からして、国家の捜査権を持つ官吏のことで、検察官としての自分史と云える思い出に残る事件の回想録という内容の本だった。このところ検察関係の本を何冊か読み続けているが、どちらかと云うと国家権力としての検察の行き過ぎを批判する本が多いのだが、この本はその逆で正に元検事の係争録というべき本だ。
本を読むとき、カバー裏とか背表紙や、序文とかに著者略歴とか本の抄録として、著者なり編集者がアピールすべき文言が多くある場合があるが、本書では著者の「はじめに」という序文でだいたいの本の内容が記されているのは判るが、一点問題があるのを復刻版でどうしようか迷ったがあえてそのまま実名で載せることにしたと云う記述が目に付く。その内容は、上司を職務怠慢だとして、決裁を得ないまま論告求刑事件のことだという。そういう記述を見ると、俄然その項が見たくなるというもので、そこからこの本を読み出すことになった。
この項の項目名は「独断で作った論告求刑」というところだ。ある事件(本では明細が記されている)で、裁判長から年度末(3月末)までに判決したいので、論告は12月中に願いたいとの要請を受けた。そこで、早速論告の原案を作成し上司のところへ原稿を持って行くと、そこに置いておいてくれと顎で机の端を指した。不愉快な思いをこらえつつ、なるべく早い決裁を願いますと云うが返事もなかった。それから2週間をあまりを経たが、原稿は戻って来ない。今後、タイピストの原稿入力などを考慮すると既に限界である。直ぐさま上司のところへ行きたずねると、まだぜんぜん見てないと云うのを聞き、かっとしたという。そこから、口論となり著者は最後には、あなたは職務怠慢だ、私はあなたが決裁権を放棄したとみなして、検察官独立の原則に従い自分の判断で論告しますと宣言したという。自席に戻ると、こんなこともあるだろうとコピーしておいた原稿を、タイピストの長に渡し、私が責任で負うから、この原稿の通り打ち込んでくれと頼んだ。その数日後、上司からと云って部厚い茶封筒に入ったメチャクチャ修正された原稿が入っていたが、もう遅いと、ロッカーに放り込んだという。
こういうことは上級庁に伝わり、問題児とされ今後の昇進にも影響することは十分予測できたという。ところが、後で知るところだが、上と下がケンカをすると、下をきちんと指導できなかった上の管理能力が疑われる問題もあることを知ったという。しかし、当時はこんな意固地な上司が偉そうにしている組織で何時までもやっていられるか、この事件の論告が済めば検事としての責任は果たしたことになるので、来春には検事を辞めようという決意を持っていたのだという。そんな中で、翌年2月に最終弁論が終わり結審し、判決は追って通知する段となったが、この次期に例の上司は異動となり新しい上司が来ることになったという。この新しい上司は、従前の上司とは雲泥の差で、頼むぞと云われ辞職の決意は改まったという。検事の場合は、法曹資格があるので、検事を退職しても弁護士になるという有力な転職への道がある。ただし、それも必ずしも上手く行くという保証はないし、軌道に乗るまで何年も不安定な日が続くか判らないのだ。それでも、著者がなじる様にデキの悪い上司のもとで仕事ができるかという、侍魂というべき気迫には驚く。
この本は、著者のさまざまな事件の解決にあたり若干自慢話染みた内容も多いのだが、江戸時代の警察機構に相当する官吏に、与力とか同心と云うのがあることは、鬼平犯科帳のファンでもあるので聞き知っていたが、この同心心得などの記述を並べ、現在の検事の捜査だとか聴取もそういう意識を持たねばならないというところなどは興味深く読んだ。
つまり、権力を笠に威張り散らし叱りつけ脅しつければ良い訳でなく、どんな悪人でも相手を犯罪者という蔑視の心で対峙するのではなく、相手の心情だとか思いを汲んで対応する謙虚さが必用だと説いているところだ。それと、法律はだいがいにおいて、第1条でその目的だとか意義が示されているものだが、その意義を十分意識する必用があることを訴えているところは、やはり長年検事生活を送り、一時は検事教育の立場に居た者ならではと感じるところではある。
しかし、2009年に生じた大阪地検特捜部の郵便不正事件に絡む村木厚子さんの冤罪長期拘留起訴で冤罪無罪を出し、直後に検事が証拠改竄で3名が懲戒免職になったことには本書では触れていないが、やはり現状の検事および特に特捜部というのは、手柄を上げるということに執着し過ぎて来てしまったと感じざるを得ない。
それと、過日元首相が暗殺されると云う大事件が生じ、これは検察には直接関係がないが、元首相の首相在任当時の2000年に、黒川なにがしという検事長を、どうやら内閣の意向で定年延長させて次期検事総長に就任させる人事に介入するという事件があったが、この時、既に退官した元検事上級職14名が異議申立を行っているが、この14名の中に著者も入っていることを本書にはもちろん記していないが知ったところだ。
最後にこの本を見て、元損保調査員として思うところだが、損保調査員などは国家権力という後ろ盾もなく、何も権威やステータスなどない。しかし、幾ら国家検量としての後ろ盾ある検事と云えども、何もかも強圧強引に捜査できるものでなく、そこには信じる正義というものがベースにあり、その動機に基づいて一定の制限された環境の中で活動しつつ、中には内輪の葛藤だとか軋轢もあるところは民間も同じで、その心意気には見習うべきところ多と読み終えた。
#元検事の自分史 #その心意気には見習うべきところ多
この本だが、題名が「捜査官」で副題に「回想の中できらめく事件たち」とある。著者名に記憶はないが元検事の様であり、ちょうど検察関係の関連本を図書館の書棚で探す中で見つけ、ついでに抜き出し借りて来て読み終えた本だ。
題名の捜査官からして、国家の捜査権を持つ官吏のことで、検察官としての自分史と云える思い出に残る事件の回想録という内容の本だった。このところ検察関係の本を何冊か読み続けているが、どちらかと云うと国家権力としての検察の行き過ぎを批判する本が多いのだが、この本はその逆で正に元検事の係争録というべき本だ。
本を読むとき、カバー裏とか背表紙や、序文とかに著者略歴とか本の抄録として、著者なり編集者がアピールすべき文言が多くある場合があるが、本書では著者の「はじめに」という序文でだいたいの本の内容が記されているのは判るが、一点問題があるのを復刻版でどうしようか迷ったがあえてそのまま実名で載せることにしたと云う記述が目に付く。その内容は、上司を職務怠慢だとして、決裁を得ないまま論告求刑事件のことだという。そういう記述を見ると、俄然その項が見たくなるというもので、そこからこの本を読み出すことになった。
この項の項目名は「独断で作った論告求刑」というところだ。ある事件(本では明細が記されている)で、裁判長から年度末(3月末)までに判決したいので、論告は12月中に願いたいとの要請を受けた。そこで、早速論告の原案を作成し上司のところへ原稿を持って行くと、そこに置いておいてくれと顎で机の端を指した。不愉快な思いをこらえつつ、なるべく早い決裁を願いますと云うが返事もなかった。それから2週間をあまりを経たが、原稿は戻って来ない。今後、タイピストの原稿入力などを考慮すると既に限界である。直ぐさま上司のところへ行きたずねると、まだぜんぜん見てないと云うのを聞き、かっとしたという。そこから、口論となり著者は最後には、あなたは職務怠慢だ、私はあなたが決裁権を放棄したとみなして、検察官独立の原則に従い自分の判断で論告しますと宣言したという。自席に戻ると、こんなこともあるだろうとコピーしておいた原稿を、タイピストの長に渡し、私が責任で負うから、この原稿の通り打ち込んでくれと頼んだ。その数日後、上司からと云って部厚い茶封筒に入ったメチャクチャ修正された原稿が入っていたが、もう遅いと、ロッカーに放り込んだという。
こういうことは上級庁に伝わり、問題児とされ今後の昇進にも影響することは十分予測できたという。ところが、後で知るところだが、上と下がケンカをすると、下をきちんと指導できなかった上の管理能力が疑われる問題もあることを知ったという。しかし、当時はこんな意固地な上司が偉そうにしている組織で何時までもやっていられるか、この事件の論告が済めば検事としての責任は果たしたことになるので、来春には検事を辞めようという決意を持っていたのだという。そんな中で、翌年2月に最終弁論が終わり結審し、判決は追って通知する段となったが、この次期に例の上司は異動となり新しい上司が来ることになったという。この新しい上司は、従前の上司とは雲泥の差で、頼むぞと云われ辞職の決意は改まったという。検事の場合は、法曹資格があるので、検事を退職しても弁護士になるという有力な転職への道がある。ただし、それも必ずしも上手く行くという保証はないし、軌道に乗るまで何年も不安定な日が続くか判らないのだ。それでも、著者がなじる様にデキの悪い上司のもとで仕事ができるかという、侍魂というべき気迫には驚く。
この本は、著者のさまざまな事件の解決にあたり若干自慢話染みた内容も多いのだが、江戸時代の警察機構に相当する官吏に、与力とか同心と云うのがあることは、鬼平犯科帳のファンでもあるので聞き知っていたが、この同心心得などの記述を並べ、現在の検事の捜査だとか聴取もそういう意識を持たねばならないというところなどは興味深く読んだ。
つまり、権力を笠に威張り散らし叱りつけ脅しつければ良い訳でなく、どんな悪人でも相手を犯罪者という蔑視の心で対峙するのではなく、相手の心情だとか思いを汲んで対応する謙虚さが必用だと説いているところだ。それと、法律はだいがいにおいて、第1条でその目的だとか意義が示されているものだが、その意義を十分意識する必用があることを訴えているところは、やはり長年検事生活を送り、一時は検事教育の立場に居た者ならではと感じるところではある。
しかし、2009年に生じた大阪地検特捜部の郵便不正事件に絡む村木厚子さんの冤罪長期拘留起訴で冤罪無罪を出し、直後に検事が証拠改竄で3名が懲戒免職になったことには本書では触れていないが、やはり現状の検事および特に特捜部というのは、手柄を上げるということに執着し過ぎて来てしまったと感じざるを得ない。
それと、過日元首相が暗殺されると云う大事件が生じ、これは検察には直接関係がないが、元首相の首相在任当時の2000年に、黒川なにがしという検事長を、どうやら内閣の意向で定年延長させて次期検事総長に就任させる人事に介入するという事件があったが、この時、既に退官した元検事上級職14名が異議申立を行っているが、この14名の中に著者も入っていることを本書にはもちろん記していないが知ったところだ。
最後にこの本を見て、元損保調査員として思うところだが、損保調査員などは国家権力という後ろ盾もなく、何も権威やステータスなどない。しかし、幾ら国家検量としての後ろ盾ある検事と云えども、何もかも強圧強引に捜査できるものでなく、そこには信じる正義というものがベースにあり、その動機に基づいて一定の制限された環境の中で活動しつつ、中には内輪の葛藤だとか軋轢もあるところは民間も同じで、その心意気には見習うべきところ多と読み終えた。
#元検事の自分史 #その心意気には見習うべきところ多