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 私の思いと技術的覚え書き

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ネオクラシックカーの魅力の源泉

2023-06-06 | コラム
ネオクラシックカーの魅力の源泉
 最近、ネオクラシックカーという言葉を聞く様になった。この言葉の学術定義付けはなされていないと思えるが、そのイメージは国産もしくは輸入車に限らず、1980年~1990年代前半までに販売されてた車両ということになろう。この代表的な車両を国産車で上げて見ると、スカイラインR32・GTR、セルシオ(レクサス)初代、NSX初代だが、これらの発売初年は何れも1990年だ。輸入車では、一部ベンツで云えばW124(1985-1995)、W201(1985-1993)とか、これはスペシャル限定モデルだがポルシェ959は販売されたのは1896-1993のことだ。

 今回の記述は多くの私見を前提とするが、その魅力の源泉たるものは何処から来るのかということを国産車を前提として述べてみたい。

 このことを思考する時、今や日本車は他国現地工場での生産数も含めて、世界No1であるが、多くの場合信頼性の高さ(故障率の低さ)でもNo1となっている。この日本車の数量はともかくとして品質が名実ともに頂点を極めた年が1990年のことであったと思える。

 この1990年を前提とすれば、その開発は1985年くらいには着手していたと思えるが、当時の車両メーカー経営人とか個別車種の開発プロジェクトリーダーたる主査(トヨタ)とかCE(チーフエンジニア)の情熱が前提としてあったというべきだろう。つまり、世界最高の性能、これは動力性能だけでなくNVHを含めたコストパフォーマンスたる性能も生み出したいという情熱だったであろう。

 この前提で、開発はスタートしているのだが、当時既に衝突安全思想として、パッシブセーフティとしての衝突安全ボデーとかエアバッグ、そしてアクティブセーフティとしてのABSなどの採用は始まっていた。その上で、動力性能を、NVH性能を、オールアルミの量販スーパーカーとしてのCPを追求とか、それぞれ目指す開発コンセプトは異なれど、何れも世界最高を目指しており、ある意味その時点で諸数値として達成されたと感じる。

 では、それ以後現在の生産車との違いは何があるのだろうかと云えば、現在車は概観意匠デザインなどに、あまりにも類似性というか近似性が強まり、ある意味で自動車にある程度感心ある者でさえ個別ブランドの識別が困難となっていることがある。この近似性は何が生み出したかと云えば、他社のヒットデザインと云うべきエッセンスが時代の潮流を生み出し。各社がその潮流に乗ることを意識的もしくは無意識的に繰り返しすことにより、時代の潮流はますます強まり近似性という呪縛が生まれているのではないか。

 また、1990年時点でも、スーパーコンピューターはあり、今のPCより余程高価ではあったがEWS(エンジニアリングワークシテーション)によるCADの使用は始まっていた。しかし、試作だとか実走試験という手間暇掛けて実物を何度も作り、十分個別評価の試験を繰り返し、車体が半完成しても、耐久試験も含め走りに走って人の官能評価を大幅に入れ込んだ評価を繰り返していた。

 当時から一次サプライヤーとの協力関係は欠かせない問題だったのだが、当時の開発では、あくまでメーカー主体で、現在のデザインインとか云う開発当初からサプライヤーが参加しつつ、以後はネットワークでの3D・CADでの合わせ込みという手法による試作の削減までは至っていなかった。従って,1990年頃社と現代車とで大きな違いを生んでいるエンジンルームを多うカバーを採用している車両は未だ生まれていなかった。つまり、カバーなしの素のエンジン概観意匠がデザインとして一定の評価の対象となるし、例えばエンジン補機類にしても装着すべきエンジンやトランスミションとか周辺ボデーとの寸法的余裕度が明確でなければ、設計ができなかったのだ。ワイヤリングに至っては、ほとんど総ての補機類とかセンサーの位置が確定するまで、必用ワイヤリングの経路も決まらず、採寸すらしようがなかったと思う。だから、1990年当時で云えば、正式設計前には、ダミーとなる木型を使ったモデルをサプライヤーはメーカーに持ち込んで、各部の擦り合わせをメーカーおよびサプライヤーと繰り返した。ワイヤリングとかパイピングに至っては、ほとんどの木型によるエンジンルームの配置が決定後、ワイヤリングとかパイピングの経路決定と採寸による設計が決まるという、リードタイムを多く要していたのだった。それが、デザインイン後は、毎日3D・CADのネットワーク参照で、ある場合はサプライヤー間で擦り合わせるなど、大幅にリードタイムを圧縮できる体制になっている。

 もう一つ、1990年頃と現代車で違う事項として、エンジン本体にも比較的高温に至らない部品として、インテークマニホールドとか冷却水関係のパーツに、従来のアルミ部品に変わり樹脂部品が多用される様になったことがあるだろう。樹脂部品の場合、外型だけの金型を使い、その中に樹脂を流し込むか管状樹脂を挿入して、その内側から高温気体を圧入するブロー成型という手法が取れる。現代車の樹脂燃料タンクもほとんどこの手法で作っているが、インテークマニホールドなどの製造については、アルミでは従来の金型によるダイキャスト法では困難で歩留まりとサイクルタイムで劣る砂型鋳造ではコスト高となってしまうのを樹脂ブロー成型で大幅に合理化できる。ただし、概観質感とか形状で見せたくないという要素が生まれる。また、ワイヤリングとかパイピングにしても、従来の丸見え状態だと、縦横平行だとか、整然と収まるという見てくれ要素と無縁ではいられない。この欠点を覆い隠すのが、エンジンンカバーというのが理由なのだが、おそらく車両の製造技術に無縁の一般ユーザーには到底理解しえないことだろう。

 また、1990年頃の車両でも電子制御化は進んでおり、既にマイクロプロセッサーによる電子制御化はエンジンやATで採用されていた。ただし、バイワイヤ化とか車内ネットワーク通信による協調動作という点では、現代車が進歩している。この成果が、燃費の向上とかADASかの先進安全車を構築する大前提であることは間違いないことであろうが、そもそもコスト低減という前提の上でのCANとかLINその他の車内シリアルバスネットワーク通信であることは間違いないことである。このことが、ハードウェアは共通でソフトウェアで車種別の必用要求をまっとうさせ、ソフトのバグとか不具合を速やかに改修する電波によるバーションアップを行うのがOTA(オーバーザエア)というネットワーク機能だ。

 種々1990年頃車と現代車の違いを述べたが、1990年頃車はその車体とか内装デザインに今にない個性的な魅力を持つと共に、工業製品としては、一定の完成度の極めた製品だったのだが、コスト高とかある意味現代から見れば過剰品質という傾向を持つ商品だったとうことが理解されるという訳だ。しかし、ホンモノを見るという視点では、魅力がかすれる訳ない商品だということが理解できる。


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