何年か前にソニーが「クオリア」という高級ブランドを立ち上げたことがありましたが、あっという間に大失敗として撤退したことがありました。どの様な企業にとっても、付加価値を持った、いうなれば利益率の高いブランドの創造というのは、永遠の願望である訳です。
そんなことを思いつつ、このところ読んだ本で、私が比較的に信頼感を持つ自動車評論家たる福野礼一郎氏の新刊本(といっても本年4月上梓)に久しぶりに接しました。表題は「世界自動車戦争論]というのですが、後書きで同氏自身も記している通り、何故この様な表題としたのかという違和感を持つものです。でも、副題としての「ブランドの世紀」には頷かせてくれるものを感じます。
さて、その内容ですが、正にクルマのブランド論であり、その点で日本メーカーは世界で遅れを取ったと感じさせてくれるものです。欧州の名だたるメーカー達のブランドに掛ける熱意といいものには驚かされます。
ところで、この福野氏ですがクルマ以外にも、なかなかの博識ぶりを持つと感じます。そんな同氏がウォッチ(腕時計)の世界での近代史を披露しています。それは、ウォッチの世界というのは、現在の様にクォーツが当たり前になる前の時代までは、世界中でスイスの各メーカーが圧倒的なブランド力を保持していたのでした。しかし、日本メーカーのクォーツ式の安価な大量製品により、スイスの各ブランドメーカーは壊滅的なダメージを受け、ある時期陶太されてしまったのだそうです。しかし、現在、そのブランドを手に入れた新興メーカーによる機械式高級ウォッチとして、再び大きな付加価値をを生み出して再興しているのだといいます。一方、日本の時計メーカーは、独自のブランド力を生み出せないが故に、極めて小さな付加価値しか付けられない安価な機能だけのメーカーに成り下がってしまったのだと記しています。
このことは、クルマについても、まったく同様のこととなる怖れがというより、既にその冥加が表れていることだと感じます。確かに、日本メーカーのクルマ達は機能や信頼性では、世界最高の品質に到達したのだと感じます。しかし、独自のブランド力としての付加価値がどうであるのかを考えた時、甚だ心許ないのだと筆者も嘆く訳です。
もっとも、日本の各自動車メーカー達も、そのことに気付き、なんとかしたいとは思っているはずです。それが、トヨタでのレクサスであり、日産のインフィニティ、ホンダでのアキュラなのでしょうが、やはり欧州の名だたるメーカーと比べると弱い様に感じられます。但し、欧州の名だたるメーカー達はそれなりに歴史を持っていることも事実としてありますが、クルマというものが庶民に手の届くものとなってから、つまりモーターリゼーションが生じてからの歴史は、日本は欧州に若干は遅れたのかもしれませんが、大した差がある訳ではありません。これからの日本のクルマ達にそれなりのブランド力が生み出せれば、今後の高原状態を超え下降に向かう市場であっても、欧州メーカーに互した活躍ができるものと思うのですが・・・。