【書評】70才から一気に老化する人 和田秀樹著
この著屋の和田秀樹氏の本を読むのは2冊目だ。1冊目の書名とか何時読んだか俄に思い出せないが、やはり精神病理学の視点で記された内容であったと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/9c/9958f529dfc09159b9ea571c76bb9913.jpg)
著者は私より数才年下の様だ、東大卒の学歴だが権威を重視しない私の視点から関係ないが、その実務経験に基づいた本書の記述内容には、その道の専門家の意見として、そういうものなのかという気付きを与えてくれる。
この本は、さほどの好奇心もなく、昨夜の寝しなに文庫本200余ページを僅か1時間ほどで斜め読みしたのだが、パラパラと気になるフレーズの部分のページに付箋を付けた部分の項目名とその概要文意を抜き出して以下に羅列してみる。
自立を確保する最後の時期
著者の私見としては、70代で活動性を維持している人は、要介護になる時期を80代後半ないし90代まで遅らせることができる。一方、この時期に活動性を得られないと、そのまま足腰が弱り、認知症の様だとか実際の認知症を引き起こし自宅に引き籠もる生活になる。
配偶者の死に直面する
妻が母親代わり、言ってみれば「心理的母親」となっている既婚男性にとって、配偶者の死の方が実の母親よりショックは大きい場合があり得る。1999年に自死した江藤淳さんとか2018年に自死した西部邁氏とう私にとってかなりの影響を与えた人物の死もそこに要因があるだろう。
メタボ対策がかえって心身の老化が進む現実
世間一般には「メタボだからやせなくてはいけない」というメタボリックシンドロームと云う言葉が広く知られている。メタボを判定するめあすとしてBMIとう数値があり、WHO基準では18.5~25に収まるこというが、世界中の統計を調べてみると、実際のところ25を少し越えた辺りがいちばん長寿なのだ。
「体験を語る力が求められる
これからの高齢者に求められる能力は「聞く力」であり自らの「体験を語る力」だ。
例えばの例だが戦争について、実際に戦争を経験した政治家が「日本も戦争ができる国にしなければならない」というのなら一定の説得力もある。しかし、戦争経験者のほとんどは「戦争はダメだ」、「集団的自衛権に反対だ」と述べている。そういう中、戦争未経験の政治家が「戦争をできる国にする」という言葉の空しさを感じる。
この著屋の和田秀樹氏の本を読むのは2冊目だ。1冊目の書名とか何時読んだか俄に思い出せないが、やはり精神病理学の視点で記された内容であったと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/9c/9958f529dfc09159b9ea571c76bb9913.jpg)
著者は私より数才年下の様だ、東大卒の学歴だが権威を重視しない私の視点から関係ないが、その実務経験に基づいた本書の記述内容には、その道の専門家の意見として、そういうものなのかという気付きを与えてくれる。
この本は、さほどの好奇心もなく、昨夜の寝しなに文庫本200余ページを僅か1時間ほどで斜め読みしたのだが、パラパラと気になるフレーズの部分のページに付箋を付けた部分の項目名とその概要文意を抜き出して以下に羅列してみる。
自立を確保する最後の時期
著者の私見としては、70代で活動性を維持している人は、要介護になる時期を80代後半ないし90代まで遅らせることができる。一方、この時期に活動性を得られないと、そのまま足腰が弱り、認知症の様だとか実際の認知症を引き起こし自宅に引き籠もる生活になる。
配偶者の死に直面する
妻が母親代わり、言ってみれば「心理的母親」となっている既婚男性にとって、配偶者の死の方が実の母親よりショックは大きい場合があり得る。1999年に自死した江藤淳さんとか2018年に自死した西部邁氏とう私にとってかなりの影響を与えた人物の死もそこに要因があるだろう。
メタボ対策がかえって心身の老化が進む現実
世間一般には「メタボだからやせなくてはいけない」というメタボリックシンドロームと云う言葉が広く知られている。メタボを判定するめあすとしてBMIとう数値があり、WHO基準では18.5~25に収まるこというが、世界中の統計を調べてみると、実際のところ25を少し越えた辺りがいちばん長寿なのだ。
「体験を語る力が求められる
これからの高齢者に求められる能力は「聞く力」であり自らの「体験を語る力」だ。
例えばの例だが戦争について、実際に戦争を経験した政治家が「日本も戦争ができる国にしなければならない」というのなら一定の説得力もある。しかし、戦争経験者のほとんどは「戦争はダメだ」、「集団的自衛権に反対だ」と述べている。そういう中、戦争未経験の政治家が「戦争をできる国にする」という言葉の空しさを感じる。