私の思いと技術的覚え書き

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最近不思議に思うこと

2018-10-04 | コラム
 先般、2018年(平成30年)9月6日3時7分に生じた北海道胆振東部地震(ほっかいどういぶりとうぶじしん)がありますが、全道電源喪失など予想外の事態も生み出しています。幸いながら、津波も起こらず停止中の泊原発(とっても冷却中であって全電源現喪失するとメルトダウンの恐れがあります)にも問題はなかったことは不幸中の幸いでした。

 しかし、この地震の直後から、震源地に近くで行われていたCCS(Carbon dioxide Capture and Storageの略であり、二酸化炭素(CO2)の回収、貯留を意味する)によるCO2の地下注入が既に30万トンも行われていたことと、因果関係を指摘する言論(マスコミ外)がおびただしく吹き出しているいることです。どうやら、CO2と地球温暖化の相関関係については、様々な異論ある様ですが、CCS作業については、増えていく様子が伺われ、大量のCO2排出を行う企業の近く(今回のも室蘭の新日本製鉄)で行っている様で、既に北九州(八幡製鉄がある)でも進められている様です。

 しかし、今回の震源地近くの山並みに地震前と地震後の写真を見比べた写真をNetから見つけましたが、目を見張るものです。広大な山並みが崩壊しているのですが、あたかも垂直に1G(重力加速度)を上回るシェイクを与えなければ生じない崩落ではなかろうかと思えます。地震に詳しい訳ではありませんが、地殻の応力によって、断層のズレなどから生じる地震であれば、垂直というより水平に近いシェイクが生じ、その地表に乗っている様々な物体に被害を与えるのが地震被害の一般的なことと思えます。それに比べると、写真の山並みの崩落様相は、誠に不思議な姿だと思わざるを得ません。

 ところで、今回のCCSと地震の因果関係を学問的に説明できる様な知識はありませんが、極めて疑念を持たざるをえないことと思えます。このCCS以前から、ダムや鉱山掘削、そしてトンネル工事などと地震の因果関係のことが巷では聞かれました。しかし、これだけ優秀な学者や巨大なマスコミ組織を持つ我が国において、それら問題に触れるものは、ほとんどなく経過して来たと云うのも、考えて見れば誠に不思議なことと思えます。

 ここで私の住まい地に比較的近い丹那トンネル(7,800m)の話しをしてみたいとおもいます。このトンネルとは東海道本線を現在の御殿場線経由の本線を、箱根山山系の下をまっすぐ突き抜けるトンネルとして、本線路の大幅な短縮とスピードアップを求め長年の夢だったものです。そこで、大正7年(1918年)に計画8年と云うことで着工されたのです。ところが、難工事に次ぐ難工事が続きますが、その理由の多くは大量の出水だったのです。この辺りの事情は小説「闇を裂く道」(吉村昭)に詳しいですが、丹那トンネルの遙か数百m上の地は丹那盆地という、それまで水豊かでわさび栽培などが行われた地ですが、泉が涸れ、丹那盆地の住民が何度も工事現場に中止を求め押し掛けるという出来事があったそうです。そんな、出来事や難工事もありますが、計画の8年を大幅に超える16年を経て昭和9年(1934年)開通したのでした。ただ、この開通する4年前1930年に北伊豆地震が生じたという。この際のことは、吉村昭氏も描いており、トンネル切羽(鏡面)の片側に置いたものが反対側に移動しているのを見て、工事人は腰を抜かしたという様なことが記してあります。今、改めて考えると、それなりに地殻の応力を溜め込んでいたこともあるのでしょうが、出水による水抜け荷より応力バランスの変化がこの地震を誘発したのではないかと素人考えながら思うところです。

 しかし、静岡県は1970年頃に地震学者により東海地震が起きると叫ばれ出し、震源地となる御前崎一帯付近には日本有数の観測網を持っているのだろうと想像されます。そして、今まで、予知ができるとして何度か予知検討会なども行われているのですが、何れも予知はなされぬまま経過しました。昨今では、地震予知は不可能という言葉も聞かれます。それは、自然のことですから、しかたのないことかもしれませんが、先に述べた様な人工的な活動と起きた地震の因果関係を研究しようとする学者はいないのでしょうか。そういう研究をしようとしても、金がでないからというのであれば、あまりにも学者魂として情けないというのが思いです。



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