F35は三菱のライセンス生産ではない
ロッキードマーチンの最新戦闘機は現在日本の調達数はF35Aが63機、F35B(垂直離着陸機能付加機)が42機の合計105機であり、日本の三菱重工で組み立てられるそうだが、従来のF15までのライセンス生産ではなく、ノックダウン生産( knock-down kit)という、アッセンブリー部品を購入して組み立てるだけの体制だという。
そもそも技術移転とはライセンス生産であれば、精密な設計図や仕様書と共に、個別部品を自国主受注メーカーやサプライヤーを含めて、素材から加工し製作するので、相当な製造ノウハウが必然として移転される訳であり、これによりF16を原型機としたF2戦闘機も日本製として完成できたということがある。
ところが、KD生産では、その様な製造技術の移転という面では、ほとんどノウハウは得られないと云うことになる。もっとも、ライセンス生産の時代でも、F15以降ではフライバイ・・・、つまり電子制御技術のECUとか制御ロジックソフトウェアを含めた機能は、ブラックボックス化なされ、ライセンスなされていなかった様であり、こういう電子制御関連のコストは、今や機体全コストの50%を超えると云われているので、ラインセンス生産だからと云えども、実際のところ何処まで効果があるのかという思いがしないでもない。
日本は米国隷属政権の国だからして、これで良いというのが多数の政治家や高位官僚の思いなのだろうが、真の独立国とか兵器の脆弱性を含めたすべてのノウハウまでを依存することが、自主独立という命題にとっての脆弱性を内包することを意識するのは、欧州諸国も同様で、だから2035年までにとかなり先を見つめた構想だが、英伊日共同で次期戦闘機の共同開発構想というのが生まれた様に想像できる。
ここで、何故米国と共同開発とならなかったかということに触れたいが、実際の過去の歴史を振り返れば、そもそもF2戦闘機の自主独立開発案が起案された時点で、米側から強く共同開発への意向同意を迫られたという経緯があったのだ。その結果が、F16を原型モデルとするF2開発となった訳だが、当時何故米側は日本に対し共同開発を強く迫ったのかと云うことを考えてみたい。
一つは、カーボンコンポジット材の大幅採用が当初から計画されており、この分野では今でも日本の東レとか三菱ケミカル(旧三菱レイヨン)は、世界トップクラスのカーボン繊維メーカーを維持している。それと、1900年頃に米国に米日断交の時代、余りに日本の半導体シェアの占有を怖れた米国は、これを潰すため日米半導体協定を迫り、日本の半導体企業を壊滅に等しく脆弱化させることを強要した。つまり、電子制御技術として、主にハードウェア関連で、大幅な独自優位を得させないという思考が働いたと見るべきだろう。
ところが、現在日本の半導体技術は、ほとんど優位性を失っており、しかもソフトウェア技術も、高度高速な半導体の実現を前提として、より高度なアルゴリズムの実用化が進むと云う相関関係があるので、米国から眺めた日本企業に共同開発の魅力はないとう力学が働くのであろう。
ロッキードマーチンの最新戦闘機は現在日本の調達数はF35Aが63機、F35B(垂直離着陸機能付加機)が42機の合計105機であり、日本の三菱重工で組み立てられるそうだが、従来のF15までのライセンス生産ではなく、ノックダウン生産( knock-down kit)という、アッセンブリー部品を購入して組み立てるだけの体制だという。
そもそも技術移転とはライセンス生産であれば、精密な設計図や仕様書と共に、個別部品を自国主受注メーカーやサプライヤーを含めて、素材から加工し製作するので、相当な製造ノウハウが必然として移転される訳であり、これによりF16を原型機としたF2戦闘機も日本製として完成できたということがある。
ところが、KD生産では、その様な製造技術の移転という面では、ほとんどノウハウは得られないと云うことになる。もっとも、ライセンス生産の時代でも、F15以降ではフライバイ・・・、つまり電子制御技術のECUとか制御ロジックソフトウェアを含めた機能は、ブラックボックス化なされ、ライセンスなされていなかった様であり、こういう電子制御関連のコストは、今や機体全コストの50%を超えると云われているので、ラインセンス生産だからと云えども、実際のところ何処まで効果があるのかという思いがしないでもない。
日本は米国隷属政権の国だからして、これで良いというのが多数の政治家や高位官僚の思いなのだろうが、真の独立国とか兵器の脆弱性を含めたすべてのノウハウまでを依存することが、自主独立という命題にとっての脆弱性を内包することを意識するのは、欧州諸国も同様で、だから2035年までにとかなり先を見つめた構想だが、英伊日共同で次期戦闘機の共同開発構想というのが生まれた様に想像できる。
ここで、何故米国と共同開発とならなかったかということに触れたいが、実際の過去の歴史を振り返れば、そもそもF2戦闘機の自主独立開発案が起案された時点で、米側から強く共同開発への意向同意を迫られたという経緯があったのだ。その結果が、F16を原型モデルとするF2開発となった訳だが、当時何故米側は日本に対し共同開発を強く迫ったのかと云うことを考えてみたい。
一つは、カーボンコンポジット材の大幅採用が当初から計画されており、この分野では今でも日本の東レとか三菱ケミカル(旧三菱レイヨン)は、世界トップクラスのカーボン繊維メーカーを維持している。それと、1900年頃に米国に米日断交の時代、余りに日本の半導体シェアの占有を怖れた米国は、これを潰すため日米半導体協定を迫り、日本の半導体企業を壊滅に等しく脆弱化させることを強要した。つまり、電子制御技術として、主にハードウェア関連で、大幅な独自優位を得させないという思考が働いたと見るべきだろう。
ところが、現在日本の半導体技術は、ほとんど優位性を失っており、しかもソフトウェア技術も、高度高速な半導体の実現を前提として、より高度なアルゴリズムの実用化が進むと云う相関関係があるので、米国から眺めた日本企業に共同開発の魅力はないとう力学が働くのであろう。