私の思いと技術的覚え書き

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藤沢武雄が予想したより遙かに激しい世の変化

2022-06-26 | コラム
藤沢武雄が予想したより遙かに激しい世の変化
 藤沢武雄氏と聞いて知らない方も多いだろう。ホンダ技研の黎明期から大企業に育つまでの間、実質的にホンダの社長業を取り仕切った人物だ。ご存じの様に、ホンダは本田宗一郎氏が創業者だが、とんと商売に対する能力欠如を自覚しつつ、盟友として藤沢武雄氏を選択したのだった。

 宗一郎氏曰く、「俺は会社の実印を使ったことがない」と断言する様に、企業組織本田技研は、藤沢武雄氏のオペレーションで発展し続けていたのだ。もちろん宗一郎氏も遊んでいた訳でない。毎日、本社でなく技術研究所へ出社しつつ、現場を見回りつつ、当時の現場担当者を知った激励、ある場合は雷を落としつつ、魅力ある商品作りに奔走してたことが、数々の本に書き記されている。

 そんな藤沢武雄氏が周辺に繰り返し発したという言葉に「万物流転の法則」ということがあったと伝えられている。この意味するところは「宇宙の森羅万象、すべてのものは現れては消えゆく運命にある。永遠に続くものはない。常なるものは無い。「誕生、成長、繁栄、衰退、滅亡」の循環を繰り返す。個人や企業、国でさえも同じ運命である。仏教でいう「諸行無常」である。「変化を受け入れ、対応する」ことに集中すること。これに尽きる。」ということを指すのであろう。

 藤沢市は実質社長として今や大企業となった本田の未来のことを常に万物流転の法則があるが、それに流されることなく生き延びる手法を考え続けていたと想像できる。それが、役員の個室化ではなく大部屋役員室であったり、物作り企業のトップリーダーは技術者でなければイカンというホンダの社長は、技術研究所の社長経験者であらねばならないなどであったと想像できる。

 しかし、ホンダも大企業になり過ぎたし、世が低成長の時代に入ったと云うことや、プロダクトがハードからソフトウェアの時代に変わるところまでは見通せなかった様に思える。これは、ムリもない話しで、ホンダ以外の企業でも、このことに苦しんで凋落した企業は数知れないほどある。

 特に物作りがハード中心の思想からソフトウェア中心の思想に変わったというところに、大きな日本の岐路があったと思える。しかも、そのことをすかさず察知していた坂村健というコンピューター学者がいて、正に「トロンプロジェクト」というのが動き出していたというところで、米国に潰されたと云う過去を知る時、当時も現在も、政治家や官僚共の対米追従の呪縛が如何に大きな影響を日本に与えていたことが判る。

 現在、PCの世界ではマイクロソフトのWindows一色だし、スマホなどモバイル分野では、グーグルとアップルの占有状態が続いている。すべて米国企業だ。これらOSを駆動するハードウェアとしてのマイクロチップも、米インテルおよびAMD、そして現在画像専用だが、その数千にもおよぶコア数で、将来の論理演算への応用も予感させているNVIDEA(エヌビディア)の台頭も凄いものだ。これらもすべて米国製だ。しいて、上げれば現在モバイル用マイクロチップではかなりの占有度を持つARM(アーム)が英国製で、その株権をソフトバンクが持つが、落ち目のソフトバンクは売却したくてしょうがない状態に陥っている。このARMの所有権をソフトバンクは有効に使ったとは到底云えないが、これを日本国家として手放すことの意味を幾らかでも判る政治家や官僚がいないことを極めて残念に思う。

 物作りがハードからソフトに変わったところで、生産技術としての思考は様変わりした様に見えるが、新しいアイデアの実現という物作りのエッセンスは変わりがない様に理解できる。おそらく藤沢武雄氏が生きていれば、そのことに気付いたはずだろうし、現在のホンダにはARM買収の余力はないだろうが、の本国家としてARM買収し日本国家に存在させ続けることは、一度破れたとは云え、トロンOSを再興させる余地を残すことにもなる様に思える。

 1980年代初頭に構想されたトロンOSは、現在のIoTという概念を「何処でもコンピューター」という概念で既に包含していた。もし、日本初の新OS「ニュートロン」が復活した日には、新たな電子立国パート2が始まる日本の序章となると私は思っている。

 このことは、遠くない将来、日本の自動車産業は、生き残利続ける余地もあるが、日本で生産する世界は終わりを迎え続けることになるのは間違いないところだろうが、次世代の日本の基幹産業となる余地を残していると思える。


#藤沢武雄 #万物流転の法則 #ARMの日本保持 #新OSの開発


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