私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

物の値段の話(ブランド論その3)

2014-10-22 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 過去にブランドのことを何度も記して来ていますが、3度目の勝手な思いとして記してみます。
 さて、余の物の値段(価格)を考えた時、その妥当値は次の様になるでしょう。

  原価+妥当な利益=妥当な価格

 しかし、余は価格破壊とかグローバルコンペテションとか言わる様る時代になって久しいです。ですから、上記の様な公式で価格がなされるのは、電力料金とか公的な料金といった法的に縛られ(もしくは保護され)た一部の事業にのみ限定され、一般の業種ではまず市場競争原理において、まず価格が先に決定され、それに見合う中、必用な利益を生み出すために原価を要したら引き下げられるのかの勝負となっていることはご存じの通りのところでしょう。

 なお、市場競争原理といっても、一概に価格が安ければ良いかというと、それだけではありません。機能や性能だとか品質、耐久性と共に信頼感も大事な要素となります。同じ機能や性能であっても、余に広く信頼感を生み出している商品(いわゆるブランド物と云われる様な)は、それなりの競争力を持っていますから、高い価格が通用する訳でしょう。そんな訳で、各メーカーでは、自社のブランド力を高めるため躍起になるのでしょうし、中には高ブランドの如く演出する(悪く云えばでっち上げる)なんていう企業もある訳です。しかし、本物ブランドは一朝一夕に出来上がる訳ではなく、ある程度の企業活動の中から醸成され生じて来るのが本来なはずです。

 私の好きなクルマの世界でいえば、ベンツやBMWといったドイツ車は、その信頼性等にてはきっと国産車に負けると思います。しかし、そのブランド力故に、同クラス車の国産車と比べ高価格でも、それなりの競争力を有している例でしょう。それでも、昔と現在のベンツの両方を見て来た者からすれば、いかなベンツといえども見掛けはともかく、中身は国産車と類似するかの如く原価低減への努力(というか妥協)を随所になされているのを垣間見るのです。一部高ブランド欧州車の例を記しましたが、国産車でも高ブランドを演出するメーカーが登場し始めて久しく時がたちます。それはレクサスとかインフィニティ、アキュラ等の事を指します。これらは北米市場において一定の高級ブランドを確率したのでしょう。しかし、同ブランドを我が国で展開しているのはトヨタ自動車のレクサスだけであり、その成果を見守っていた日産、本田は日本での導入を躊躇した(諦めた)様にも思えます。私の独断もしくは錯誤かもしれませんが、日本導入後10年弱を経て国内レクサス販売店が、その投入資本から十分な利益を得続けているとは、到底思えないのです。

 何で北米でまずまずの成果を果たし得た国内ブランドが、我が国で通用しないのでしょうか。それは、想像となりますが、以下の様なものとなるのでしょう。

①国産車と同一のプラットフォーム(モノコック床とかサイドフレームおよびサスペンション系)やエンジン、トランスミッション等駆動系がほぼ同一のものを上屋(アッパーボデー)だけをデザイン変更し、内装や装備をゴージャスにしただけの商品であること。(でっち上げ商品)

②上記の内容の商品にしては、その価格が100万円を超える高額に設定され、利幅を稼ごうとしていることが見え見えのこと。(ブランド力を越える過剰価格)

③取扱いデーラーの建屋外観や内装、そして接客対応が、さも高級感を高め様とする余りバカバカしいほど過剰となり、気軽に訪問できない雰囲気を生じさせてしまっていること。(まるでフレンドリー感なき販売体制)

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