私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

田舎に残る歴史

2019-10-09 | 沼津そして伊豆周辺
 今回紹介する風景というか建物写真は、総て10年程前に西伊豆・松崎町内で写したものです。伊豆の松崎といえば、伊豆によくある風光明媚な温泉のひなびた町という感じですが、およそクルマなんか想像もつかなかったであろう江戸時代辺りまでは、それなりに栄えていたことを示すものと思えます。

 写真1および2は、市街地のなまこ壁に施された漆喰細工の飾りです。そして、写真3および4は、松崎市内郊外に位置する岩科学校舎です。この様な古い学校舎が残されているのを、松本にある開智学校でも見たことがありますが、何れも田舎に残るものです。つまり、産業が発展すれば、それに伴うスクラップ&ビルドによって、同じ土地に無秩序に立て直されてしまうのが、この世のある意味常識なのですが、この松崎の様に往時の賑わいが薄れ時を止めたまま往時の風景を残しているのを見ることは嬉しく感じます。そうはいうものの、単に放置していただけでは、廃墟と化しその美しさは失われてしまうのですが・・・。

 伊豆半島は、その西側と東側では、随分と町の様相が異なります。何れも江戸時代までの物流が搬風船に担われていた頃までは、各町(港)のある場所は栄えていたのだろうと思います。それが、動力船の時代になり、風待ちする必要がなくなり、駿河湾などは陸地伝いに船を運用する必要もなく、一気に伊豆半島を越して行く様になり、伊豆の町は廃れたのでしょう。その後、物流が鉄道やクルマとしての陸上の時代になり、東伊豆辺りは鉄道や道路の整備が早くから進み、それなりに観光を中心に発展して来たのでしょう。しかし、西伊豆は、昔に比べれば道路は整備されて来たというものの、鉄道が引かれることもなく、道路があるといえども峠越をしなければならないとか距離が長いと、ほとんど工業が発展することないまま現在に至っているのです。ですから、今でも学びを終え社会人として育つ多くの若者達は、余程の事情がなければ地元で就活することもままならず、都会へ出て行かざるを得ないのです。

 愚人の住む沼津市は、東京、名古屋、大阪と比べれば小さな都市ですが、東海道沿線に接し東京まで1時間ちょいで移動可能な地です。これが、例えば松崎とすれば、沼津もしくは三島へ出てくるまでに今でも2、3時間は要してしまうでしょう。だから、観光業を営むなむや地元の役所関係者など余程の事情がない限り、この地に移り余生を過ごそうという方もいないのだろうと思えます。

 日本全国を調べれば、類似の様な状況で往時は栄えたが、その後はまったく人気がなくなり廃村となった地も幾つも事例があるのでしょう。出来うることなら、松崎の様に発展はなくとも、往時の佇まいを綺麗に残しつつ人々が暮らす町が何時までも続くことを願います。





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