久しぶりに訪れた図書館で、昔の商用車を特集した図鑑の如き趣の本を借り出しました。眺める絵、写真の数々が、私の生まれる以前のものもあれば、未だ幼い頃微かに見かけた記憶にあるクルマも多く、興味深く眺めたのです。
そんな中、私が子供の頃、未だ未舗装路も多い幹線路を走るトラックで、写真の如くフロントボンネットあたりまでしかボデーがなく、荷台はおろか運転台も満足にないクルマに、覆面よろしくタオルを顔に巻きつけた運転者が疾駆して行くのを、ちょっと目を見張って眺めた記憶が蘇ってきました。
現在でもそうですが、大・中型トラックの9割方では、メーカーの標準荷台(通称:平箱)で使用することは稀で、パネルバンや平箱であっても荷台枠に背丈の高いアルミブロックあおり仕様とか、冷蔵や冷凍車などなど、顧客の用途に合わせた架装が施され使用されています。そんな中、自動車メーカーの経営環境が厳しさを迎える中、従来架装メーカー任せとなってたリヤボデー(荷台)の製造自体にメーカーもしくは系列のボデー架装メーカーが乗り出して来ているケースは増加しています。しかし、そうはいっても極めて広範囲に及ぶ架装の総てをメーカーが行える訳もなく、それなりの架装は従来からあるボデーメーカーにおいて行われ、メーカーからの出荷はキャブ付きシャシの状態で行われ、架装メーカーまでの自力搬送がなされている訳ですが、昔に比べるとその数は大きく減ったと感じます。また、そのことを裏付けるが如く、地域の架装メーカーも大きく減ってしまいました。
さて、写真の件に戻りますが、この頃の車両メーカー出荷では、写真の如く運転台もない状態での架装メーカーへの出荷が行われていたということが判ります。ですから、架装メーカーでは、荷台の製作はもちろん、運転台の製作も受け持っていたことが判ります。
ところで、この頃の架装メーカーによる運転台(キャブ)の製作は、少量一品生産的なことから量販車では当たり前の金型プレスを用いた全鋼板製という訳にもいかず、骨組みは木骨で外面に平鋼板を手作業でR加工して張り付けるという工法が取られていた様です。ですから、この頃のクルマの事故修理においては、外面鋼板は板金屋さんが担当しますが、木骨部分の修理は木骨屋さんが担当したということです。
しかし思うことは、クルマに限らずのことでしょうが、自動車メーカーがあって周辺の広範な架装業社が広く活躍できた環境は、今は昔のこととなってしまったことを残念に思います。それは、多くの職人達が働く場を失ったということであり、合理化により職場が失われて行くという現在でも連綿と底なしに続く我が国の悲しい現状を示すことをです。