つい先日のことですが、業務にて横浜市鶴見区生麦のとある所へ訪問する機会がありました。しかし、約束の時間に訪れたのにも関わらず不在であり、待ち時間の間に「生麦事件」の地はどの辺にあるのだろうと手元の地図で探して見ました。そうしたら、ほんの直ぐ200m程度の所にあると判り、覗きに行ってみました。
「生麦事件」は、江戸末期のこの地で、薩摩藩・島津久光の大名行列直前を英国人が横切ったことからトラブルとなり、英国人が死傷する事件が発生しました。その後、この事件の解決はこじれ薩英戦争にまで発展し、明治維新への流れを加速させたと伝えられています。
この「生麦事件」は、吉村昭氏の著作にもあり、その内には読みたいとは思っており、興味を持って碑を眺めた次第なのです。なお、その後ネット経由で関連HPを見ましたら、実際の現場はこの碑の場所ではなく、ここから数百m離れた、とある住宅の場所なのだといいます。また、碑のある場所も、片側3車線の国道15号線沿いで、碑の他には往時を偲ばせるものはありません。 送信日時: 2004年2月22日 日曜日 18:21(写真5枚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/bb/374513f67bdfdbfe687131339fd92e8a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/63/63b5b960b3a7645a732d9a5f64c1aeb5.jpg)
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「生麦事件」は、江戸末期のこの地で、薩摩藩・島津久光の大名行列直前を英国人が横切ったことからトラブルとなり、英国人が死傷する事件が発生しました。その後、この事件の解決はこじれ薩英戦争にまで発展し、明治維新への流れを加速させたと伝えられています。
この「生麦事件」は、吉村昭氏の著作にもあり、その内には読みたいとは思っており、興味を持って碑を眺めた次第なのです。なお、その後ネット経由で関連HPを見ましたら、実際の現場はこの碑の場所ではなく、ここから数百m離れた、とある住宅の場所なのだといいます。また、碑のある場所も、片側3車線の国道15号線沿いで、碑の他には往時を偲ばせるものはありません。 送信日時: 2004年2月22日 日曜日 18:21(写真5枚)
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