三河へ赴任して早や2週間が経ちました。初めての単身赴任で若干心配もありましたが、毎度の飯の支度が気掛かりながらも、何とか飢えずに過ごしております。
さて、予てより三河の地に来たら、周辺の歴史を訪ね歩きたいとは思っていましたが、早速第1弾の探訪をする機会を得ましたのでご紹介して見ます。
きっかけは、赴任先住まいの直ぐ近くに結構大きな中古本屋さんがあるのですが、ここで司馬遼太郎の短編集を見つけ買い求めたことによります。読んでみると、そこに、「忘れられた徳川家のふるさと」なる紀行文があり、徳川家のルーツとなる松平郷というのが直ぐ近くの豊田市内にあるとのことでした。非常に興味をそそられ早速探訪して見た次第です。
松平郷には、家康を祭る松平東照宮があり、この地が家康の先祖たる松平親氏(ちかうじ)が住まいを持ち、そこから数えて八代目が家康と云うことなのだそうです。 家康の代で松平から徳川に改姓したのだそうで、松平は徳川直系となることが今更な がら理解できた訳です。
松平東照宮から少し歩くと松平家の菩提寺である高月院というお寺さんがありました。山門のたたずまいがすばらしい山寺です。ここには、親氏の墓もありました。この墓も含め、例の葵の家紋がそこここに付けられており、徳川家の縁を示しています。
ちょっと離れた所に松平城址というのがありました。好奇心に駆られ喘いで登りましたが、城址の碑が立っているのみで、素人目には城があったという痕跡は判らないでがっかりしました。前に紹介した沼津の興国寺城址の方が、よほど城跡を残しており感激があったと思います。
そんな訳で、第1弾の探訪が終わりましたが、まだまだこの三河周辺の地に興味は尽きないと感じております。また探訪出来ましたら、お知らせしてみます。 送信日時: 2004年4月18日 日曜日 22:19(写真5枚)
さて、予てより三河の地に来たら、周辺の歴史を訪ね歩きたいとは思っていましたが、早速第1弾の探訪をする機会を得ましたのでご紹介して見ます。
きっかけは、赴任先住まいの直ぐ近くに結構大きな中古本屋さんがあるのですが、ここで司馬遼太郎の短編集を見つけ買い求めたことによります。読んでみると、そこに、「忘れられた徳川家のふるさと」なる紀行文があり、徳川家のルーツとなる松平郷というのが直ぐ近くの豊田市内にあるとのことでした。非常に興味をそそられ早速探訪して見た次第です。
松平郷には、家康を祭る松平東照宮があり、この地が家康の先祖たる松平親氏(ちかうじ)が住まいを持ち、そこから数えて八代目が家康と云うことなのだそうです。 家康の代で松平から徳川に改姓したのだそうで、松平は徳川直系となることが今更な がら理解できた訳です。
松平東照宮から少し歩くと松平家の菩提寺である高月院というお寺さんがありました。山門のたたずまいがすばらしい山寺です。ここには、親氏の墓もありました。この墓も含め、例の葵の家紋がそこここに付けられており、徳川家の縁を示しています。
ちょっと離れた所に松平城址というのがありました。好奇心に駆られ喘いで登りましたが、城址の碑が立っているのみで、素人目には城があったという痕跡は判らないでがっかりしました。前に紹介した沼津の興国寺城址の方が、よほど城跡を残しており感激があったと思います。
そんな訳で、第1弾の探訪が終わりましたが、まだまだこの三河周辺の地に興味は尽きないと感じております。また探訪出来ましたら、お知らせしてみます。 送信日時: 2004年4月18日 日曜日 22:19(写真5枚)