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鈴木邦男と三島由紀夫の愛国心という言葉への警告

2023-04-24 | コラム
鈴木邦男と三島由紀夫の愛国心という言葉への警告
 つい先日、鈴木邦男氏の愛国心についての言説を記した。その中であえて触れなかったのだが、あの邦男氏はあの三島由紀夫氏のことを引いて、やはり三島も愛国心という言葉に内在する危険を意識していたことを記している。以下、その部分の抜粋を転載しておきたい。

〈愛国心〉を批判した三島由紀夫
 こうした現状をみるにつけ、思いだされるのは三島由紀夫のことだ。
 改憲ムードが高まり、声高に〈愛国心〉が叫ばれるいま、保守派の人たちの多くが「三島の叫びがやっと国民に届いたのだ」と思っている。1977年11月、三島が東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入し、自衛隊員を前に憲法改正を訴えたときは、誰も聞く耳をもたなかった。「降りて来い」「ばかやろう」などの野次と罵声が飛んだ。三島の叫びは、自衛隊にも国民にも届かなかった。あれから45年以上がたち、やっと届いたのだ。
 ところが、三島は自決の二年前、首相自らが改憲を訴えているではないか、1968年1月8日付の『朝日新聞』夕刊に「愛国心-官製のいやなことば」と題したエッセイを寄稿している。「実は私は愛国心」という一言葉があまり好きではない」という文章で始まる衝撃的な内容だ。当時、右翼学生だった僕は、三島の言つていることの意味がわからなかった。「三島さんも困るよなあ、こんなふざけた文章を書いて」と思った。左翼に迎合しているとも感じた。しかし、いまは、三島の言ったことがよくわかる。ニ島はこう言う。
 愛国心の「愛」の字が私はきらいである。自分がのがれようもなく国の内部にいて、国の一員であるにもかかわらず、その国というものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するというのが、わざとらしくてきらいである。
中略
 武装や徴兵制には反対している。「国を守るのは国民の名誉ある権利である。徴兵制になったら、それは汚れた義務になる」と言っている。また女帝も認めている。それに、国の力を強大にするためなら、個々人の権利や自由が奪われでもいい、という発想もない。さすが作家だ。表現者だ。言論の自由は1OOパーセント認めるべきだし、デモや表現の自由についてもそうだ。たとえ、国家の考えと反対の場合でも、言論の自由は保障すべきだという。そんな三島からすれば、自民党の改憲案には、けっして賛同できないだろう。
「保守・右派・右翼」だから同じだ、と考えるのは間違いだ。右翼に攻撃されたときも、三島は「冗談じゃない。俺の方が本当の愛国者なのに!」と思ったに違いない。そんな苦い思いも、三島の「愛国心」の文章、そしてこの「憲法改正草案」に込められているのだろう。
 より具体的には、こうも言っている。
 沖縄返還とはなにか?本土の防衛責任とは何か ?アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいうごとく、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。
「魂の死んだ武器庫になる」「アメリカの傭兵として終わる」。現在の安倍政権が目指す改憲は、むしろこの方向に進んでいるのではないか。「自衛軍」がアメリカとともに、世界中どこにでも出かけ、戦争に参加する。あるドは、アメリカの指示で、アメリカの代わりに戦争をする。まさに、「アメリカの傭兵」化ではないのか。2003年、イラク戦争の際にも、自衛隊は派遣されたが、「イラク復興支援」を名目に、小銃など以外の武器はもたず、戦闘に参加することもなかった。しかし、改憲がなされれば、実際の戦闘に参加するし、人を殺し、自らも殺されるようになるだろう。改憲がなされていなくても、安保法制の成立によって、その危険性は高まった。それが「普通の軍隊」「普通の国家」であるなどと、政治家たちは主張する。
三島が生きていたら、現在のこうした動きに反対していただろう。「俺の名前を使って反対のことを言うな!」と。
 憲法改正、自主憲法は三島の悲願だった。でも同じ言葉を使いながら、まったく別の方向に行こうとしている。現在の政権が主張するような「自主憲法」ができたら、国家が国民に対して上から押しつける憲法になる。「自主憲法」という「名前」が大切なのか、それとも憲法の中身が大切なのか。僕は中身を選びたい。だから、言う。〈愛国心〉を汚れた義務にしてはならない、と。

追記
 三島由紀夫氏のことは、gey性向があったと云われる。このことは、別に非難するつもりは毛頭ないのだが、実際には三島氏には妻もいて子息をおられる様だから、gayというよりバイというべき性向であったのだろう。三島氏の市谷自衛隊事件津事件だが、その介錯役を行い、実行後に自らも自決したのが森田必勝(まさかつが正式読みだが自称ひっしょう)で享年25であったという。森田の本で尊顔を見るに、童顔であどけなさを感じるのだが、正に純粋無垢の性格であり、三島のgay対象としての相手と言うより、したう子弟として可愛く思っていたことは想像できる、だからこその介錯役を指名したのであろうと想像するのだ。


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