私の思いと技術的覚え書き

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最近の軍事技術のこと その3:戦車

2018-02-28 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 前回に続き、図書館から借り出した軍事技術本の3冊目として、戦車のことをについて記してみる。

 この戦車の本であるが、元三菱重工の設計者が記した本だ。どうやら現在の日本では戦車など履帯(いわゆるキャタピラー)駆動は三菱重工が、タイヤ駆動の装甲車などはコマツで分担しているらしい。軍事のみの特定分野だけに競争入札とかには到底馴染まず、必然としてこの様になったのであろう。

 この本の著者は、陸自創設のころの米軍供給の戦車から始まり、世界主要各国がMBT(メイン・バトル・タンク)を独自に開発しつつ保有していることに習い、61式以降、74式、90式、10式と開発し配備してきた中において、関わりを持ち続けて来た様である。それが、どの様な内容を持つのか、感心を持ちつつ読んでみた。ただし、軍事機密部分はオブラートに包まざるを得ない表現となるが、それは致し方のないことだろう。

 それでも、流石に長年に渡りMBT(に限らないだろうが)の開発に関わって来た人の表現だなぁと感じる記述は多い。例えば、私は第二次大戦中の旧日本軍の戦車は、火砲も小さく小型で情けない代物だったと感じていたが、ドイツのティーゲル重戦車でさえもガソリンエンジンだった時代に、日本は空冷ディーゼルを開発し搭載していたことを知ると驚く。戦場において、何よりも信頼性を求められるとなると、火花点火の高圧配電系を持たざるを得ないガソリンより、ディーゼルが優れることは明らかだからだ。私は。日独伊三国同盟の中、一方的に日本はドイツの軍事技術を有償だが提供を受けていたのかと考えていたが、戦車用ディーゼルエンジンの技術はドイツに提供していたのだと自慢げに語る文意があった。

 そんな空冷ディーゼルも第1世代の61式および第2世代の74式まで、第3世代の90式以降は水冷に変わる。エンジン馬力や車体の大きさ主砲の口径など、90式までは一方的に大型化して行った。そもそも、90式までは仮想敵国の筆頭は旧ソビエト軍であり、90式の配備先はほとんどが北海道だという。本州では、陸自の教習所たる富士学校とその周辺に限られた様だ。そしてソビエト壊滅に伴い、北海道の危機感も和らぐ中、車重50トンの90式から、全国で運用できる車重44トンとダウンサイズした第4世代MBTたる10式のコンセプトは固まった様だ。

 予てより戦車のパワートレーン(動力伝達系)はどうなっているのかと感心を持っていたが、それらを知る情報には巡り会えなかった。今回読んだ本で、概略であるがおぼろげながら見えて来た様にも思う。最新の10式の概略としては、エンジン軸出力を左右2軸に振り分け、2つのトルコンと湿式多板ブレーキでコントロールしている様だ。

 それと、本には火器のことはあまり触れていないが、wikと合わせて見ると砲は120mm滑腔砲(かっこうほう)で90と変わらぬが、90式は本家ラインメタル社(ドイツ)製のものだが、10式は同型で90式の砲弾とも共用できる国産の日本製鋼所製となるらしい。そして、90式で採用された照準自動追尾機能(いわゆるロックオン)は、世界発の技術らしい。当然10式でも更に精度を高めて採用されている様だ。一度ロックオンしてしまえば、敵弾回避のために、前後進、旋回や急旋回、急制動を行い車両姿勢が変化しても、砲塔は旋回しつつ砲身起伏角は自動で追随し何時でも発射できるというものらしい。

 最後に、今回読んだ本の中で、遠回しの表現ながら、複合装甲のことが若干ながら記されており注目する。その内容としては、10式では主に砲塔の前面および側面にボルトオンの付加物として複合装甲(セラミックとかカーボンファイバーとか云われるが明細不明)が、目的に応じて付け替えできる仕様とのことらしい。そう聞いてみれば、10式の砲塔はやけに幅広くほぼ全幅一杯といった外観幅を持つが、砲塔内部空間はそれ程広い訳ではない様だ。



陸自・10式新型戦車(2010/7/12記述)

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