私の思いと技術的覚え書き

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沼津の水

2018-07-17 | 沼津そして伊豆周辺
 ご存じの通り沼津の上水道水源地は柿田川湧水にある。市役所HPに上水道の沿革でも記載されているが、戦後のS25年から泉水源地より送水開始と記されている。その後、だいぶ遅れてS50年から駿豆水道として、同じく泉水源地より三島市、函南町、熱海市に供給されている。

 柿田川湧水は富士山の伏流水が溶岩流の先端から湧き出しているそうで、大自然の数十年という時を濾過に費やされた清水なのだ。従って、上水道施設としては、水源地が低位にあるため揚水が必要だが、濾過施設としては比較的簡易で、さほどの殺菌もせず、恐らく日本中の名だたる清水と云われるボトリングされた水より美味いのではないだろうか。こんな美味い水を、しかも安価にして飲める沼津市および周辺の市民は幸せだと認識して間違いないだろうと思う。

 柿田川は、清水町泉水源地から狩野川までの長さ1.2kmの川だ。太古の昔から、この水源はあったはずだが、水源地が低位にあることから戦前までは上水道として利用されてこなかったのだろう。想像だが、戦前に軍の用地接収を受け、駅の北部一帯は海軍工廠という大工場が作られたのだが、この頃に同水源地からの送水管が整備されていたかもしれぬ。今も、工業用水として、東レ三島工場(元陸軍連隊跡地)とか、矢崎大岡工場(沼津兵器跡地)に供給されているそうだ。

※2019/8/1追記 その後、各種資料から判ったことだが、先の対戦時に軍が湧水水源地から、香貫にある海軍音響技術研究所(現在の第3中学校の地)に導水していたそうだ。何れにしても、水源地は沼津ではなく清水町にあるのだが、水利権は沼津市に帰属することになったのは、沼津市にとっては海軍様々の出来事だったと思える。なお、駅北の海軍工廠その他は、その地の住民を軍命令で強制移転を命じられ、止むなく引っ越しを強いられたという負の歴史もあるのだが・・・。それら、強制移転の住民も戦後は、元の地に戻れたのとのこと。

追記
 写真中の下流の新橋上より眺めた下流側下方の2つの盛り土だが、これが石積みの旧橋だ。元々2つのアーチ型に組んであった名残が見える。地元の老翁に聞いたのだが、子供の頃この橋から飛び込んで水遊びしたが、水温が低く10分とは水中に居れなかったとのことだった。湧き水は年間通じて約15度で変わらない。三島の別の湧き水地(温水池など)では、湧き水を一旦温め昇温してから農業用の灌漑水として流しているそうだ。

追記2 2008/12/1撮影
 この柿田川で時々鮎の遡上を見ることが出来る。川は泉地で行き止まりだから、泉に群れた子鮎たちが無数に泳ぎ回るという姿を見た。











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