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【書評】日本をここまで壊したのは誰か(西尾幹二 著)

2022-03-27 | コラム
【書評】日本をここまで壊したのは誰か(西尾幹二 著)
 著者の西尾幹二氏(1935年生まれ87才)は存命だか、予てから氏の意見には傾聴に値するものがあると、その論評を読み続けてきた。今回読んだのは「日本をここまで壊したのは誰か」(2010年初版)という表題だ。

 氏のことを知ったのは、先の戦争で敗戦し、米国に占領された際、米占領軍は日本人の記した思想書などを8千種あまりを焚書指定(下記リンク参照)して、多くを抹消する行為を行っていたことを驚きを持ったのだった。これと類似した米国の行為に、故江藤淳氏が「閉ざされた言論空間」で伝えるところの、報道機関などに対する検閲行為を行って来た。これらの行為は、およそ自由民主主義である以上、日本国民は当然のこと、米国民にさえ知られたら、都合が悪いものなのだが、一般人には知れぬ様にして行われた。

"現代日本人に思想破壊をもたらしたGHQの焚書と日本人協力者"
https://www.zakzak.co.jp/smp/society/politics/news/20150819/plt1508191755007-s1.htm

 その西尾氏して、この本を上梓した2010年時点で、このところの10年余り、つまり、西暦2000年くらいを指すと思うが、政治の堕落という云うべき現象が著しいと述べているが、このことは現時点(2022年)で、ますます酷くなっていると感じるところだ。

 それと、西尾氏は決して自虐史観で眺めている訳でもないと感じ同感するところなのだが、日本人としての致命的な体質というべきものがあることを意識せねばならないとしているところを留めておきたい。

 これは、あれだけの戦争を行って、鬼畜米英と罵ったのにも関わらず、占領されたとたんに、指導層も大衆も、一転して米国に諂(へつら)う様になったことを指している。また、同じ問題を、敗戦後ソ連に抑留された軍属達が、その指揮官や幹部軍属が、積極的にソ連側に諂い、ロシア人が要求するよるより厳しく隷下の抑留兵士達を締め上げていたと云うことを、この本で知る。

 このことは、先の焚書の問題とか、検閲の問題もそうだが、そこには積極的に関与した日本人がいたからこそ為せた問題だと思うしかないのだ。つまり、東条英機が戦陣訓で述べたという「生きて虜囚の辱を受けず」とはおよそ縁遠い姿を晒してきたのが日本人ではないだろうか。つまり、戦陣訓の「生きて虜囚の辱め・・・」というスローガンがおよそ妥当だとは思わぬが、憎き相手に陵辱されて、何ら抵抗もせず、逆に諂うという姿勢が、あまりにも情けないと云う思いしか感じられない。

 しかし、90年のバブル崩壊以後、2000年前後から政治がおよそ、その価値を発揮できなくなったこと、経団連とか大企業の意向や、米国の様々ななぶりに対し、ただただ諂い、一般大衆も大した反発の声も沸き起こることなく推移して来たのが、日本人の底流に流れている実相だと思うと情けない。

 このことは、別の論者に云わせると、日本は同調社会で、強い者や権威に諂う村社会であり、そこには相互監視の村八分の悪癖があると述べているが、正に一致する指摘だと思わざるを得ない。

 ただし、前文で記した様に自虐的に眺めることは慎みたい。つまり、日本人には、勤勉でとことん突き詰める知力もあるし、様々な芸術作品を生み出す構想力とか文化もあるという優位点もある。その上で、自己の弱点を知り、巧く流されるのではなくて、云ってもダメと諦めるのではなく、論拠を持って主張しつつ、権力者や権威という者に、レジスタンス(抵抗)していかなければ、この国の国民は、大企業と既得権益を持つ権威者だけが富み、一般国民は限りなく資力も文化も貧しい方向だけに進む様に思える。


#日本人は己の欠点を知れ


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