私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

修理して使い続けることの価値観

2008-12-12 | 技術系情報

 資本主義社会であり技術革新が続く現代社会では、色々比較検討して十分良いものだと決断して、ある商品を購入しても、直ぐに陳腐化してしまったり、些細もいないトラブルが生じて買い替えてしまうということが良くあります。

 先日も、数年前に購入したプリンターが壊れてしまい、メーカーへ修理にだそうかとメーカーWebサイトを見たら。修理費が1万円程度を要することが判り、新しいプリンターを15千円で購入して来ました。このプリンターのトラブルも、きっとその世界のプロフェッショナルから見れば、さもない原因で生じているのであって、簡単に直るのかもしれません。しかし、メーカーの規格化された修理ルートとしては、その人件費等のコストにより新品価格と遜色なくなってしまい修理されることが少なくなってしまうのでしょう。

 10年位前に購入し使い続けていた皮のビジネスバックですが、5年程度を使用する中で、手持ちハンドル部の塗装が禿げてみすぼらしくなってしまったことがありました。そのデザインが気に入り、確か3万円程度で購入した商品でした。この時、メーカーに損傷状態のデジカメ写真を送ったところ、新しい手持ちハンドル部の部品(2本)を、8千円程度で供給してくれ、感激したことがありました。

 しかし、中には結構高額な商品が壊れてしまいメーカーに修理を要請しても、修理は一切行っていないといううそぶくメーカーさえありますが、これは製造・販売者としてのモラルとしてどうなんだろうと思うこともあります。

 私の好きなクルマの世界においては、高額商品ということもあり、事故や故障で壊れた場合にも、修理がなされて使い続けられる体制が整えられています。これは、メーカー系列のカーディーラーだけでなく、町の整備、板金塗装工場を含めてのことです。

 このクルマの修理ですが、壊れた場合に、その部分の部品を取替る場合と、修理する場合がありますが、昨今は部品を取替るという修理が多くなって行く傾向が強まっている様に感じられます。

 但し、部品を取替る場合であっても、中にはリビルト部品と云って使用済み部品を新品同様にまで再生した部品が使用される場合があります。また、リサイクル部品と云って、事故等で廃車になったクルマの中から、損傷していない部品を再利用する場合もあります。

 ところで、今から50年も前に製造されたクルマを、当時の新車以上の状態にまでレストアする業社さんを見ていて思うことを記します。それは、現在のクルマが果たして50年後に同様のレストアへの要請を受けた場合に、果たしてそれを行い得るのかということです。

 50年前のクルマを観察すると、現在のクルマに比べれば作りは悪く、ボデーの腐蝕も大きいという欠点が目立ちますが、構造がシンプルで修理が行いし得るという点があると感じます。何れにしても50年も経過しても、メカニカルな機能部品はリプロパーツを含めてある程度入手可能ですし、エンジン内部の機械部分は機械加工により十分に修復可能です。しかし、ボデー関係のパーツは入手不可能ですから、総て手作り(直し)による再生となります。

 もし、現在のクルマが50年経過した場合を想像しますと、ボデー関係は防錆性能の向上しており問題なく十分に修復可能でしょう。しかし、高度に複雑化した電装系パーツとして、各ECUや液晶等の表示デバイスを使用したユニット等は修理は困難となるものと想像されてしまいます。


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