私の思いと技術的覚え書き

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「法令遵守が日本を滅ぼす」の読後感想のこと

2007-12-14 | コラム
 過日、読んだ本の内容から記します。本の題名は「法令遵守が日本を滅ぼす」(新潮新書:郷原信郎著)というちょっとドッキリするものです。今や、コンプライアンス(法令遵守)や関わる個人情報保護法は、どの様な企業にであれ、日頃の業務に関わり悩まされつつある問題の一つであると感じます。そして、この様な世の動きに対する違和感といったものを感じているのは、多くの方々に同様なのかと思います。

 同書の冒頭で著者は記します。不祥事を起こした企業の謝罪会見での決まり文句は「法令遵守が不十分だった。コンプライアンスの再徹底を図りたい。」等と云うものだと。そして、それを益々追いつめるのが官庁報道発表や御用マスコミのバッシングだと。問題が拡大すると、企業存続の危機を招き掛けない問題にまで発展する可能性すらあると。そのため、各企業では、コンプライアンス確立に向け、多大のコストを振り向けざるを得ないのだと。こうして、世の中が「法令遵守」に埋め尽くされる中で、多くの賢明なる組織人達は、法令遵守という意味のコンプライアンスが、多くの弊害をもたらしていることに気づき始めていると。抽象的に法令遵守を宣言し、社員に言明するだけの経営者の動機が、命令に反して社員が行った違法行為が発覚した場合の「言い訳」を用意しておくことに過ぎないこと、法令遵守によって組織内には違法リスクを恐れて新たな試みを敬遠する「事なかれ主義」が蔓延し、モチベーションを低下させ、組織内に閉塞感を漂わせる結果となっていることを感じていると。

 さらに著者は記します。法令にはその背後に必ず何らかの社会的な要請があり、その要請を実現するために法令が定められているのだと。しかし、日本の場合は、法令と社会的要請との間で、しばしば乖離・ズレがあると。この典型例として、JR福知山線の脱線事故の際に、被害者の家族が医療機関に肉親の安否を問い合わせたのに対し、医療機関側が個人情報を盾に取って回答を拒絶した問題があると。
 アメリカのような法令中心、司法中心の国では、法令を遵守することが社会的要請に応えていくことになるから、コンプライアンスを法令遵守と置き換えることに合理性があると。しかし、日本の場合は、法令遵守を徹底しても、世の中で起きている様々な問題を解決することには繋がらないと。日本場合は、コンプライアンス=法令遵守ではないのだと。法令の背後にある社会的要請に応えていくことこそがコンプライアンスあると認識し、その観点から組織の在り方を根本的に考え直してみる必要が重要だと。

 以上の様な要旨の同本ですが、私に常々感じていた違和感の内の幾らかが氷解した様にも感じました。しかし、根本解決に向けては、明治・大正以来そのままである数々の法令の、真の現在の社会的要請との乖離を一致させる改正や、官僚組織の問題やマスコミの報道姿勢の改善等々、問題は山積しているのだと思います。

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