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東名あおり石橋被告の「おかしい」発言に思う

2022-06-07 | 事故と事件
東名あおり石橋被告の「おかしい」発言に思う
 この事件、ヤフコメなどを見ていると、石橋被告が「おかしい」というのを、「お前がおかしい」程度ならいいが、そもそも懲役18年は軽すぎる、無期懲役が相当だと、世論は正にもっと強い厳罰を求めているのが判り、ちょっと異常な心理が働いていると感じる。

 拙人は法律の専門家ではないが、長年交通事故の過失割合など実務に携わって来たのだが、今回事故における2名死亡の責任のすべてを石橋被告に求めるのは、従来の一般的な道交法判例から考えておかしい様に思えてならない。すなわち、被告も弁護士も主張したそうだが、後続から追突せしめて被害者夫婦および石橋被告にも負傷を与えた大型トラックの運転手が、遅滞なく安全運転の義務の限りを尽くしていたと云うことがなおざりにされたまま、本判決を下されたことは本判決の妥当性の根本を疑わせることと思えている。

 これは拙人の感覚的な意見ともなるが、仮に石橋車が被害者車を東名高速本線上で停車させるに至った前提として、その停止から大型トラックが追突事故を起こすまでの時間を予想してみると、ほとんど数秒とかの極短時間ではなく、幾らかの時間差(20秒~30秒程度)があったのではないだろうか。その様に想定できる根拠として、石橋被告が車を降り、被害者運転手もクルマを降り、双方が歩み寄り何事か話しを取り交わしていること。また、被害助手席の妻も車を降車し、石橋と被告と被害夫との仲裁に入ろうとしたのが、その口論の様子を少なくとも伺っていたこと。この様な状況があるのであれば、先に記した様に停止後、大型車の追突を受けるまでには、時間的に数十秒以上の時間差はあったのではないだろうか。

 本案件は石橋被告や弁護士は第3者としてトラック運転者の責任を主張はした様だが、強く本訴訟での喚問を強く主張すべきであったし。そのことを裁判長も考慮しなかったのは極めて不公平なことであり、石橋被告の云う「おかしい」という主張も理解できるとところだ。

 そもそも、この事件は当初から関心強くウォッチして来たが、横浜地検がそもそも第三者のトラック運転手を起訴猶予処分にしているが、先に記した様な視点で、充分吟味した上で、起訴猶予にしたのか疑わしい。また、本件の横浜地検の立件要旨に、第三者のトラック運転者の過失はなかったとすべく論拠はほとんどないまま、本案件を起訴しているのではないかと想像してしまう。

 犯罪を裁くのは当然だが、そこには推定無罪(有罪判決でるまで被告の立場は基本無罪)とか、法の元の平等という原則が常に求められる。近年高まったあおり運転厳罰化の世論にあまりにも流されてしまうと、単に高速道路本線上で進行車をムリヤリ停車させた、それはあまりに無茶な行為であり厳罰をという短絡的な思考に至っていないのだろうか。冷静になってっみれば判ることだが、不慮の自損事故とか車両の故障で高速道路本線上に停止せざるを得ない状況というのは時々あるものだ。そこに後続車が突っ込むという事故を、本線上に止まったからといえ、その停止車が全面的に責任があるかどうかを思考して見れば、このことは判ってもらえることだと信じたい。


#石橋被告述べる「おかしい」の意味


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