何処までも差別は続く
コンプライアンスなんちゃって、例えば金融業では、ある程度コンプラミーティング(学習会)なるものを開催し、適宜監督官庁に報告している訳なのだが・・・。しかし、やってるのは、どこどこの部署で、Fax誤送信があったとか、宛先ミスでの送付があったとか、集計表を配布してこういうのはアカンとミーティング受講者がいる中で、名指しこそしないがそんなことを繰り返しているのだろう。しかしなぁ、思うが、例えば昔所属した損保では、正規社員でも総合職と一般職(現在は全国型と地域型の様な区別が多いらしい)、そしてパートだとか(現在は派遣社員もありだろう)、物損調査員(アジャスター)と区分されていたのだが、ともするとそれら属性の中で、差別意識を内包しており、極少数だがその差別意識が如実に表出される場面がある。こういうレイシズム(元来は人種、属性の差別)に類する優位感を持つ人間とは、おそらく予想を超えて多いのが残念なことrだが人間の本質なのかもしれない。しかし、知性とか教養の中において、それを理性の中で押さえられるのも人間という者だろうと信じている。
ところで、いわゆる同和問題(差別)の問題は、今はほとんどメディアの中では放送もしくは記述禁止用語化されて、その(これは官製用語)という表現すら伏せられることになってしまっている。これは、自由民主主義の根幹をなす表現の自由にも関わる重大な問題だと思うところだ。
関係の問題は、昔として公的に指定された現在地を探訪するルポを繰り返している「神奈川県人権センターもしくは示現舎」の宮部さんの話しを聞いたり、図書館で関係本を借り読んだり多少は勉強して判ってきたつもりだが、同和差別問題とか、過去の同和対策事業がまったく無意味だったとまで思わないが、かなりねじ曲がっている様に思えて来たところだ。
一方、現代において、差別とは云っちゃいないが、上級国民だとか、政治家の家業化(国会議員の半数越えるのが2世3世、そして高位官僚)とか、東大閥(最も多いのが東大法学部卒)の社会支配層の占有化とか、正社員と派遣とかパート、請け負いなどの格差を社会の断絶とか云っている訳だが、これはある意味で差別と同義じゃないかとも思えて来る。人間、何処まで文明が進んでも、既得権とか血筋と云うべき差別は続いている様だ。
コンプライアンスなんちゃって、例えば金融業では、ある程度コンプラミーティング(学習会)なるものを開催し、適宜監督官庁に報告している訳なのだが・・・。しかし、やってるのは、どこどこの部署で、Fax誤送信があったとか、宛先ミスでの送付があったとか、集計表を配布してこういうのはアカンとミーティング受講者がいる中で、名指しこそしないがそんなことを繰り返しているのだろう。しかしなぁ、思うが、例えば昔所属した損保では、正規社員でも総合職と一般職(現在は全国型と地域型の様な区別が多いらしい)、そしてパートだとか(現在は派遣社員もありだろう)、物損調査員(アジャスター)と区分されていたのだが、ともするとそれら属性の中で、差別意識を内包しており、極少数だがその差別意識が如実に表出される場面がある。こういうレイシズム(元来は人種、属性の差別)に類する優位感を持つ人間とは、おそらく予想を超えて多いのが残念なことrだが人間の本質なのかもしれない。しかし、知性とか教養の中において、それを理性の中で押さえられるのも人間という者だろうと信じている。
ところで、いわゆる同和問題(差別)の問題は、今はほとんどメディアの中では放送もしくは記述禁止用語化されて、その(これは官製用語)という表現すら伏せられることになってしまっている。これは、自由民主主義の根幹をなす表現の自由にも関わる重大な問題だと思うところだ。
関係の問題は、昔として公的に指定された現在地を探訪するルポを繰り返している「神奈川県人権センターもしくは示現舎」の宮部さんの話しを聞いたり、図書館で関係本を借り読んだり多少は勉強して判ってきたつもりだが、同和差別問題とか、過去の同和対策事業がまったく無意味だったとまで思わないが、かなりねじ曲がっている様に思えて来たところだ。
一方、現代において、差別とは云っちゃいないが、上級国民だとか、政治家の家業化(国会議員の半数越えるのが2世3世、そして高位官僚)とか、東大閥(最も多いのが東大法学部卒)の社会支配層の占有化とか、正社員と派遣とかパート、請け負いなどの格差を社会の断絶とか云っている訳だが、これはある意味で差別と同義じゃないかとも思えて来る。人間、何処まで文明が進んでも、既得権とか血筋と云うべき差別は続いている様だ。