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【書評】裁判所の正体(瀬木比呂志・清水潔 共著)

2022-07-31 | 論評、書評、映画評など
【書評】裁判所の正体(瀬木比呂志・清水潔 共著)
 この本は、裁判官を30年勤め以外退職し大学教授となった瀬木比呂志氏とフリーランス調査報道ジャーナリストの清水潔氏の対談集をまとめた本だ。

 日頃伺うことのできない裁判所の実態などが、各所にちりばめられている内容だ。この本の中で、ジャーナリストの清水氏も驚いていたのだが、私も三権分立と立法、行政、司法(裁判所)は完全に独立して居ると思っていたが、主に国賠訴訟などで、裁判官が法務省に出向き、国家の弁護士役(訴務検事)をやっている現実を知る時、ぜんぜん三権分立じゃない現実があるのだなと知るところだ。これでは大規模国賠訴訟などにおいて、およそ国を動かす判決は出る訳ないと思うところだ。

 ここで当初の文末近くになる瀬木氏と清水氏の一問一答を転載してみる。

瀬木 各種の官僚が統治する制度が全面的に疲弊している中で、改革できるところが日本の中にあるとすれば、三権の中でまだ一番やりやすいのは司法だ。と云うのは、行政や立法は既得権のかたまりで、それこそ「ゴジラの死体」みたいなものだだ。ゴジラの死体なんて、どうやって始末していいか判らないし、何処を切っても放射能が噴き出して来るから危険きまわりない。

清水 なんだか凄い話しですね。(笑)

瀬木 でも「司法」というのは、まあ「マンモスの死体」くらいなので、まだ何とかなる。(笑)既得権とかあまり関係ないから。かつ、もしも再生することができれば、司法というのは潜在的に凄い力を持っている訳だ。例えばアメリカの例を引けば、一人一票の問題も、専門家の意見を聞いて、選挙区割りの線まで裁判所が引いてしまう。もし、裁判所がこういう線まで引いたら、きちんとした対案を出さない限りこれでやるしかなくなるなくなる訳ですよ。

清水 日本人から見るとビックリでしょう。

瀬木 制度や思想の違いがありますが、アメリカではそういうふうにやって来ている。例えば、19世紀末以来、分離すれども平等と云う原則で、白人と黒人の子を別々の学校へ通わせていたのを、戦後ある時点で。これはダメ同じ学校に行かせるべきと云う判断を裁判所が示したのです。そして、実際には、非常に細心に綿密に監督調整してそれを成功させた。その社会的影響は絶大に大きなものがあります。

清水 思えば日本の裁判所は、あまり大きな世間への影響力を感じませね。体質が古いんでしょうか。

瀬木 そうですね、社会全体の体質が古い。法と制度全般に対する感覚が古いんです。でも日本だけが、昔の富国強兵制度時代のままでスッとやっていけるんんですかと問いかけたいのです。少なくとも根本的な見直しをすべきではないか。そのためには、せめて部分的法曹一元化制度(優秀ベテラン弁護士を裁判官の20%程度起用する。新人裁判官は、弁護士活動を5、6年経験させてから裁判官に起用する)、くらいはやって見るべきではないですか、そういうことなんです。

・・・ 中略 ・・・

清水 やはりゴジラの死体は処理も大変、マンモスの死体なら何とかなるかもしれないと云う話しでしょうか。(笑)判り易いですよね。ならば、メディアは「死にかかったハイエナ」みたいなものだから、これをなんとか犬にしたい。もちろん悪人を監視する番犬です。きちんと見ていなければならないのに、死んだゴジラやマンモスにたかるハイエナに堕している。


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