静岡県下で初の鉄道軌道としては、現在は廃線となってしまいましたが沼津市内の「蛇松線」というのが該当します。
明治2年に時の政府は、東京から京都までの幹線鉄道の敷設を決定しますが、そのルートとして、太平洋沿いの東海道線とするか、列島中央部を通る中山道とするかで、意見が紛糾しなかなか結論が出せずにいた様です。そして、海沿いのルートであると外国の攻撃等で脆弱だという軍事的な視点で中山道ルートに一端は決まったものの、ルート内に山間地が多く多額の経費を要することが認識され、一転して東海道ルートに再決定されたのだそうです。それが、明治19年だと云いますが、それから約3年後の明治22年4月には、新橋から京都までが全線開通したというのです。如何に、多大のエネルギーを注入した、突貫的な工事であったかが偲ばれることです。
そんな、突貫工事において、各地において同時多発的に工事が着手され進行されたのだと想像されますが、沼津地区においては、沼津港から沼津駅までの資材運搬用の路線がまず敷設されたのでした、これが「蛇松線」だったのです。
「蛇松線」は、東海道線の完成後も、様 々な物資を沼津港と沼津駅を繋ぐ輸送路として使用され続けましたが、需要の減少により昭和48年8月末で廃線となりました。現在、「蛇松線」の軌道跡は緑地公園化された「蛇松緑道」として整備されています。
ところで、この東海道線でもそうですが、駅が作られた場所は、必ずしもそれ以前の町の中心部ではない場合が多かった様です。これは、既存の地権者への立ち退き等をなるべく避けたいと云うことや、鉄道敷設に反対する意見もあったこと故と想像されます。しかし、駅が作られることで新たな人々の動線が生まれ、町の中心部が駅周辺に動いて行き、既存の中心部は衰退して行くのでした。
※写真の上は、蛇松線の港側終点に残された 往時の記念物等です。下の写真は、蛇松緑道内のベンチで、安らぐ親子猫です。この辺りは、水産業者も多めですから、ノラちゃんも多めに感じられます。