この元現役のロートル保険調査人として、寺子屋指南の第2回目として「自らの技量を上げる源は現場にある」ということを強調したい。
そもそもロートル調査人は、数十年前に某損保の本社研修部に所属し、教育だとか日頃の現場からの問い合わせに答える毎日だった。そんな現場からの問い合わせについて、その場でそこまで云いはしなかったが「お前はクルマの現車を見ているのだろう。何故、もっと現車を良く見ない。また、その理由を本社に聞くんじゃなくて、その工場なり、別の工場なりで精通している者に聞いて、自らが追求する努力が欠落しているな」と思い続けて来た。
考えてみれば、幾ら本社で様々な教育をやろうが、それより大切なのは、その研修の実物教材は現場にあることを意識していなさ過ぎる調査担当者が多過ぎる。昔より現在では処理件数とかを追い求められる傾向があり、それがさらに進んでいる様に思われる。現車の立会調査に工場を訪問すると、目的のクルマだけを見て、工場担当者との話しもそこそこに帰って来てしまう者が多すぎる様に思える。
私の現役時代は、まず判らないことや疑問があったら工場担当者に問いたずねる。それでも疑問が解消できない場合は、別のその部門のことに詳しい者を見つけておいて、後日質問して正解を見つけたものだ。
だいたい、修理工場に訪問すると、目的車両の立会なりを済ませると、黙って工場内を一周はしたものだ。そこで、観察出来る修理作業途上の他の車両とか、工場施設で工夫がなされている姿を見ると、感心を持って眺めたものだ。
だいたい、調査担当者が工場から高評価を受ける場面を考えてみて欲しい。要求どうりに支払う担当者が高評価を受ける訳ではない。それは単にバカにされているだけの話しだろう。最も評価されるのは、工場が知らない情報を提供でき、それが工場の能率向上とか利益アップに結び付く場合だろうと思っている。その様な点で、ある工場の施設の工夫を、具体名は守秘義務にも関係するからぼやかすとして、「こんな風に工夫してやっている工場がありますよ」などと提言は、耳を傾けない工場経営者は少ないはずだ。
私は、なるべく工場訪問すると、その工場でも最も地位が高い者と話しをする様に努力して来た。それは何時居なくなるかもしれない、しかも何の権限もない一修理担当者と話しをするだけムダと思って来たこともあるが、工場経営者もしくは工場長など、実力者に私を認識させることが長期的に見てその工場全体に対する影響力を高めると信じてきたからに他ならない。特に、その地域のボス的な工場とか、他の工場への影響力を有した工場や、車体協会の役員工場では、特にそのことを意識し、発言なり問いかけを繰り返して来たつもりだ。
何れにしても、教育とは与えられるものは極一部であり、自らが努力して得るものであり、その源は現場にあると云うことを繰り返して強調したい。
そもそもロートル調査人は、数十年前に某損保の本社研修部に所属し、教育だとか日頃の現場からの問い合わせに答える毎日だった。そんな現場からの問い合わせについて、その場でそこまで云いはしなかったが「お前はクルマの現車を見ているのだろう。何故、もっと現車を良く見ない。また、その理由を本社に聞くんじゃなくて、その工場なり、別の工場なりで精通している者に聞いて、自らが追求する努力が欠落しているな」と思い続けて来た。
考えてみれば、幾ら本社で様々な教育をやろうが、それより大切なのは、その研修の実物教材は現場にあることを意識していなさ過ぎる調査担当者が多過ぎる。昔より現在では処理件数とかを追い求められる傾向があり、それがさらに進んでいる様に思われる。現車の立会調査に工場を訪問すると、目的のクルマだけを見て、工場担当者との話しもそこそこに帰って来てしまう者が多すぎる様に思える。
私の現役時代は、まず判らないことや疑問があったら工場担当者に問いたずねる。それでも疑問が解消できない場合は、別のその部門のことに詳しい者を見つけておいて、後日質問して正解を見つけたものだ。
だいたい、修理工場に訪問すると、目的車両の立会なりを済ませると、黙って工場内を一周はしたものだ。そこで、観察出来る修理作業途上の他の車両とか、工場施設で工夫がなされている姿を見ると、感心を持って眺めたものだ。
だいたい、調査担当者が工場から高評価を受ける場面を考えてみて欲しい。要求どうりに支払う担当者が高評価を受ける訳ではない。それは単にバカにされているだけの話しだろう。最も評価されるのは、工場が知らない情報を提供でき、それが工場の能率向上とか利益アップに結び付く場合だろうと思っている。その様な点で、ある工場の施設の工夫を、具体名は守秘義務にも関係するからぼやかすとして、「こんな風に工夫してやっている工場がありますよ」などと提言は、耳を傾けない工場経営者は少ないはずだ。
私は、なるべく工場訪問すると、その工場でも最も地位が高い者と話しをする様に努力して来た。それは何時居なくなるかもしれない、しかも何の権限もない一修理担当者と話しをするだけムダと思って来たこともあるが、工場経営者もしくは工場長など、実力者に私を認識させることが長期的に見てその工場全体に対する影響力を高めると信じてきたからに他ならない。特に、その地域のボス的な工場とか、他の工場への影響力を有した工場や、車体協会の役員工場では、特にそのことを意識し、発言なり問いかけを繰り返して来たつもりだ。
何れにしても、教育とは与えられるものは極一部であり、自らが努力して得るものであり、その源は現場にあると云うことを繰り返して強調したい。