私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

クルマのトレンドに思う(その2/3)

2008-08-15 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険

 前回に続いてその2として記します。

⑤メッキパーツの多用の時代(1975年頃)

 1975年頃のクルマは、前後バンパーやグリル、ライトリム、モールディング、ホイールキャップ等々、メッキパーツが多用されていました。特に上級車種や上級グレードになる程、これらメッキパーツの装着が多かったものです。当時のクルマ好きの若者(私を含め)は、これらメッキパーツを外したり、ボデーと同色にしたりして、シンプル化させたりして喜んでいたものでした。そんな、当時の若者の求めていたクルマの姿が反映された訳でもないでしょうが、現在販売されているクルマは、往年のクルマに比べれば、圧倒的にメッキパーツは少なくなりました。

 しかし、今でもメッキを好む方は居るもので、ピカピカのメッキホイールにわざわざ履き替えたり、大型トラック等ではメッキやステンレスパーツをこれでもかと多用する改造を施した姿にそれは現れてると感じます。

⑥ドアミラーへの変換(1983年)

 1983年の道路運送車両法の改正以前、日本車はドアミラーは合法ではありませんでした。当時のクルマ好きの若者(私を含め)は、輸入車のドアミラーのスタイルに憧れ、違法を承知でフェンダーミラーを撤去しドアミラーを装着する改造をしている方もいたものです。

 そんなドアミラーも、法律が改正されると、瞬く間に総ての乗用車に普及し、今では偶にフェンダーミラー車を見ると、新鮮にすら感じられることがあります。

 ところで、このドアミラーが瞬く間に普及した理由ですが、機能的にドアミラーの方が優れていた訳ではないと感じます。フェンダーミラーは、ミラーが小さいので写る像も小さいという欠点があるものの、写る範囲が広く斜め後方視界の把握には優れていたと思います。それと、フロントウインドウの視界の中、もっと云えば、ワイパー動作の視界の中に入りましたから、視線移動も少なく安全性も優れていた様に感じます。空力的にも、ミラーが小さいだけに優れていたことでしょう。そんな利点があったにも関わらず、駆逐されてしまったのは、やはりスタイル上のことなのだと感じます。

⑦ボデーカラー(1975年~現在)

 ボデーカラーにもトレンドがあると感じます。例えば、私も一時期その整備等に携わったトヨタ・クラウンでは、かつては法人需要が多く新車販売の大勢はブラック色が多くを占めていました。しかし、個人需要としてのブラック色は不人気職の筆頭で、リセールバリューは大変低くなったものでした。そんなクラウンの需要も、個人オーナーの増加と共に、新車の人気色の筆頭はホワイト色(スーパーホワイト)となります。この傾向はクラウンに限らず、多くの乗用車でホワイト色は人気色となったのでした。

 ところが、クラウンにパールパイカ色が登場します。そして、その後のホワイトパール色となってからは、多くの乗用車で猫も杓子もホワイトパールが筆頭人気色という状態が、現在でも続いているのです。なお、この現象は日本だけの様で、ベンツやBMW車等は、ホワイトパール色の設定すらありません。

 なお、その他の色でも流行廃りがあるもので、かつて個人オーナーに嫌われたブラック色は、現在ではホワイトパール色に次ぐ人気色です。また、かつて人気色であったモスグリーン色ですが、今や見ることもありません。そして、限定的ですが黄色も特定車種で一時的に人気を集めたこともありました。

 そんなボデーカラーのトレンドですが、決して大勢を占めやしませんが根強い人気を持つ色として、シルバーメタリック色があります。私が好きな色でもありますが、時流に左右されない色であると感じています。




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