【DVD映画評】グリーンブック
この映画DVDは内容も何も知らず図書館でパッケージを見て往年の如何にもアメ車を使用しているなと感心を引き借りだした映画だ。この記述を記すについてwikiで調べたら、2018年の米国映画だが物語の設定としては1962年で、クルマで各地を移動しながら物語が進んで行くと云うロードムービーという感のあるものだ。黒人天才ピアニストたるドクとその運転手兼用心棒とて雇われたトニーが、住まいのニューヨークでドクにトニーが雇われ、米国南部各地をピアノ演奏巡業の旅での出来事を描くというものだ。
ついでに、これもwikiで知ったのだが、題名のグリーンブックというのは、日本でも「レッドブック」という中古車価格を載せた本や「赤い本」と云われる自動車事故の損害賠償弁護士基準を記した本があるが、このグリーンは黒人向けの旅行ガイドで、米国各地の黒人利用可能のホテル、レストラン、修理工場などが地図と共に掲載されているものらしい。グリーンは本の色というより原作者の黒人ヴィクター・H・グリーンが、自らの名前から名付けたものだと知った。
そもそも、そういう黒人向けの旅行ガイドがあるくらい、当時の米国では黒人への差別が大きかったということが判る。このグリーンブックは、映画の中でもトニーが運転席脇に置いて、泊まるホテルなどを決める場合に利用する姿として描かれる。
そもそも米国での黒人は奴隷として導入されて来た歴史を持ち、それがさまざまな人権法の制定で、現在の様に法的には完全に差別は撤廃されているのだが、地域的や属人的に未だその差別感情は残る。このグリーンブックも1964年の公民権法が成立後は忘れ去られていったと記されている。
ただし、人間とは差別的な意識は心の奥にあるもので、それは日本でも英国でもあるが、最近感じるのは、生まれとしての名家、名士、学歴、権威者、所得差などという、法的には人民平等で公式には一切差別はないことになっているが、新たな分断とも云える陰湿な差別はむしろ強まっている様に感じる。
さて、最初にDVDパッケージで目に付いた60年代のアメ車だが、物語の中に頻繁に登場する。テールフィンというデザインから50-60年代のクルマだろうなと調べたら、キャデラック・ドゥビル2世代目(1961-1964年)と判った。主なスペックは以下のものだ。
・エンジン 6.4/7.0L V8
・変速機 3/4AT
・車両寸法
ホイールベース 3,300mm
全長 5,460-5,675mm
全幅 2,025mm (1961,1963)
全高 1,430mm(1961-1962)
車両重量 2,100–2,200kg
まあ、全高は現在の国産セダンと変わらないが、幅が国産車も1800mm前後までのクルマは増えたが、この全長とかホイールベースはやはり大きい。特に全長5mを越えるクルマは、一般乗用車ではまず少ないが、往年のアメ車らしいと感じるところだ。
横から側面視を眺めると、長いボンネットとこれも異様に長く見えるトランクと相対的にキャビン(グリーンハウス)は小さく見える。おそらく、現代のベンツSクラス、BMW7シリーズ、レクサスLS辺りと比べても、これらがほとんど全長5m程度で車幅は2m程度で変わらなく、全高がもう少し高い程度と思える。つまり、セダンとしての車室の広さは、このキャデラックとそう大きく変わらない様に想像する。
映画の中で、静止状態ではそれ程尻下がりに見えないが、走行中の特に駆動状態では尻下がりになる傾向がある様に見える。これは、長いホイールベースとこれまた長いリヤオーバーハングによることと、サスペンションのセッティングが前と後ろで、後輪のバネレートが相対的に小さいからの様に想像した。つまり、この時代だからFR車で、前輪ウッシュボーン、後輪リジットアクスルだろうが、乗り心地重視の後輪サス柔らかめということと、オーバーハングが大きく、それが尻下がりをより大きく感じさせている様に思える。
それと、このクルマのサイドウインドウはサッシュが付いている様に見えるが、これはガラス側の縁に固定されていて、ガラスを下げるとサッシュレスの構造であるのと、4ドアでセンターピラーはあるが、これがルーフサイドレールに連結されていない構造であることが判る。
もう一つ、フロントアッパーピラーが湾曲しつつ後傾しているのだが、現在の多くのクルマはフロントガラスの湾曲が少なく平面に近い形状が多いが、このクルマではアッパーピラー側でかなり目立つ曲面形状にラウンドしているところは、現代車ではまずあり得ない形状だろうと思う。つまり、センターピラーが連結されていないとか、フロントピラーが湾曲しつつ後ろ側に位置することは、各種衝突テストでかなりボデー変形を生み出し易い形状だからということになる。
それと、映画の中では室内でトニーとドクの会話とか姿をショットしたものが多いが、まず気付くのがヘッドライニング(天井)がいわゆる吊り天という布を数十センチ単位で横に通る骨で吊り下げて張っていることだ。今や現代車では、整形天井と呼ぶ圧縮ダンボールの型取りしたベースに裏スポンジ付きのファブリックを張り込んだものがほとんどで、吊り天井を見なくなった。
それと、こういう天井とかガラスとかの縁をアルミ材と思える別部品で囲っているのだが、こういうことも現代車はまずやらない。
また、外観で云えば、バンパーはスチールメッキだし、グリルも金属製の様だし、ホイールキャップも金属製の様だ。外観で樹脂部品と云えば、アクリル樹脂製のウインカーとかテールランプ程度ではないかと見える。
これらのことから想像するに、生産技術は現代に比べ遙かに非効率で低精度だろうから、品質で優れているとは到底思えないが、素材としての単価は明らかに高いし、生産する工数も余分に要していると云うことが判る。当時と今とでは、人権費も相当違うので単純に比較することはできないのだろうが、まったく同じものを同じ素材で現代で作ろうとしたら、素材コストおよび工数コストとして相当高額となってしまうだろう。
#映画評グリーンブック #差別 #キャデラック・ドゥビル
この映画DVDは内容も何も知らず図書館でパッケージを見て往年の如何にもアメ車を使用しているなと感心を引き借りだした映画だ。この記述を記すについてwikiで調べたら、2018年の米国映画だが物語の設定としては1962年で、クルマで各地を移動しながら物語が進んで行くと云うロードムービーという感のあるものだ。黒人天才ピアニストたるドクとその運転手兼用心棒とて雇われたトニーが、住まいのニューヨークでドクにトニーが雇われ、米国南部各地をピアノ演奏巡業の旅での出来事を描くというものだ。
ついでに、これもwikiで知ったのだが、題名のグリーンブックというのは、日本でも「レッドブック」という中古車価格を載せた本や「赤い本」と云われる自動車事故の損害賠償弁護士基準を記した本があるが、このグリーンは黒人向けの旅行ガイドで、米国各地の黒人利用可能のホテル、レストラン、修理工場などが地図と共に掲載されているものらしい。グリーンは本の色というより原作者の黒人ヴィクター・H・グリーンが、自らの名前から名付けたものだと知った。
そもそも、そういう黒人向けの旅行ガイドがあるくらい、当時の米国では黒人への差別が大きかったということが判る。このグリーンブックは、映画の中でもトニーが運転席脇に置いて、泊まるホテルなどを決める場合に利用する姿として描かれる。
そもそも米国での黒人は奴隷として導入されて来た歴史を持ち、それがさまざまな人権法の制定で、現在の様に法的には完全に差別は撤廃されているのだが、地域的や属人的に未だその差別感情は残る。このグリーンブックも1964年の公民権法が成立後は忘れ去られていったと記されている。
ただし、人間とは差別的な意識は心の奥にあるもので、それは日本でも英国でもあるが、最近感じるのは、生まれとしての名家、名士、学歴、権威者、所得差などという、法的には人民平等で公式には一切差別はないことになっているが、新たな分断とも云える陰湿な差別はむしろ強まっている様に感じる。
さて、最初にDVDパッケージで目に付いた60年代のアメ車だが、物語の中に頻繁に登場する。テールフィンというデザインから50-60年代のクルマだろうなと調べたら、キャデラック・ドゥビル2世代目(1961-1964年)と判った。主なスペックは以下のものだ。
・エンジン 6.4/7.0L V8
・変速機 3/4AT
・車両寸法
ホイールベース 3,300mm
全長 5,460-5,675mm
全幅 2,025mm (1961,1963)
全高 1,430mm(1961-1962)
車両重量 2,100–2,200kg
まあ、全高は現在の国産セダンと変わらないが、幅が国産車も1800mm前後までのクルマは増えたが、この全長とかホイールベースはやはり大きい。特に全長5mを越えるクルマは、一般乗用車ではまず少ないが、往年のアメ車らしいと感じるところだ。
横から側面視を眺めると、長いボンネットとこれも異様に長く見えるトランクと相対的にキャビン(グリーンハウス)は小さく見える。おそらく、現代のベンツSクラス、BMW7シリーズ、レクサスLS辺りと比べても、これらがほとんど全長5m程度で車幅は2m程度で変わらなく、全高がもう少し高い程度と思える。つまり、セダンとしての車室の広さは、このキャデラックとそう大きく変わらない様に想像する。
映画の中で、静止状態ではそれ程尻下がりに見えないが、走行中の特に駆動状態では尻下がりになる傾向がある様に見える。これは、長いホイールベースとこれまた長いリヤオーバーハングによることと、サスペンションのセッティングが前と後ろで、後輪のバネレートが相対的に小さいからの様に想像した。つまり、この時代だからFR車で、前輪ウッシュボーン、後輪リジットアクスルだろうが、乗り心地重視の後輪サス柔らかめということと、オーバーハングが大きく、それが尻下がりをより大きく感じさせている様に思える。
それと、このクルマのサイドウインドウはサッシュが付いている様に見えるが、これはガラス側の縁に固定されていて、ガラスを下げるとサッシュレスの構造であるのと、4ドアでセンターピラーはあるが、これがルーフサイドレールに連結されていない構造であることが判る。
もう一つ、フロントアッパーピラーが湾曲しつつ後傾しているのだが、現在の多くのクルマはフロントガラスの湾曲が少なく平面に近い形状が多いが、このクルマではアッパーピラー側でかなり目立つ曲面形状にラウンドしているところは、現代車ではまずあり得ない形状だろうと思う。つまり、センターピラーが連結されていないとか、フロントピラーが湾曲しつつ後ろ側に位置することは、各種衝突テストでかなりボデー変形を生み出し易い形状だからということになる。
それと、映画の中では室内でトニーとドクの会話とか姿をショットしたものが多いが、まず気付くのがヘッドライニング(天井)がいわゆる吊り天という布を数十センチ単位で横に通る骨で吊り下げて張っていることだ。今や現代車では、整形天井と呼ぶ圧縮ダンボールの型取りしたベースに裏スポンジ付きのファブリックを張り込んだものがほとんどで、吊り天井を見なくなった。
それと、こういう天井とかガラスとかの縁をアルミ材と思える別部品で囲っているのだが、こういうことも現代車はまずやらない。
また、外観で云えば、バンパーはスチールメッキだし、グリルも金属製の様だし、ホイールキャップも金属製の様だ。外観で樹脂部品と云えば、アクリル樹脂製のウインカーとかテールランプ程度ではないかと見える。
これらのことから想像するに、生産技術は現代に比べ遙かに非効率で低精度だろうから、品質で優れているとは到底思えないが、素材としての単価は明らかに高いし、生産する工数も余分に要していると云うことが判る。当時と今とでは、人権費も相当違うので単純に比較することはできないのだろうが、まったく同じものを同じ素材で現代で作ろうとしたら、素材コストおよび工数コストとして相当高額となってしまうだろう。
#映画評グリーンブック #差別 #キャデラック・ドゥビル