書籍・五街道細見で知る沼津国境
図書館で見つけた「五街道細見」だが、東海道の沼津中心にその東西近くを感心持って眺めると、新たに知ることが幾つかあったので書き留めておきたい。
まず、沼津は駿河国であり、三島は伊豆国であるが、現在の黄瀬川を境としているのだと思っていたが、この書籍では「時の鐘」のところに橋印がある。そうなると国境の川は現在の源平川と云うことになりそうだ。
それと、三島にも甲州路あり、きせ川橋(板橋もしくは土橋とも)の橋詰めより足柄山へ道あり、沼津にも甲州路ありとある。これは、江戸時代の御厨(御殿場)経由の篭坂峠越えの甲州路と、江戸以前の金時峠越えの鎌倉往還を指しているのだろう。
また、沼津の西隣の地名か村名だろうか、「五反田」というのは現在の「市道」を指している様だ。何れにしても、沼津周辺の地名は、多くが現在まで引き継がれていることを知る。
沼津から船便が出ていたことも記されている。それは「江尻」(清水)と吉田(豊橋)のことの様だ。
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#江戸時代の東海道細見より沼津付近の東西を知る
図書館で見つけた「五街道細見」だが、東海道の沼津中心にその東西近くを感心持って眺めると、新たに知ることが幾つかあったので書き留めておきたい。
まず、沼津は駿河国であり、三島は伊豆国であるが、現在の黄瀬川を境としているのだと思っていたが、この書籍では「時の鐘」のところに橋印がある。そうなると国境の川は現在の源平川と云うことになりそうだ。
それと、三島にも甲州路あり、きせ川橋(板橋もしくは土橋とも)の橋詰めより足柄山へ道あり、沼津にも甲州路ありとある。これは、江戸時代の御厨(御殿場)経由の篭坂峠越えの甲州路と、江戸以前の金時峠越えの鎌倉往還を指しているのだろう。
また、沼津の西隣の地名か村名だろうか、「五反田」というのは現在の「市道」を指している様だ。何れにしても、沼津周辺の地名は、多くが現在まで引き継がれていることを知る。
沼津から船便が出ていたことも記されている。それは「江尻」(清水)と吉田(豊橋)のことの様だ。
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#江戸時代の東海道細見より沼津付近の東西を知る