私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

サラリーマン化したという言葉と対極にある職人

2022-07-30 | コラム
サラリーマン化したという言葉と対極にある職人
 最近というかかなり以前から、さまざまなその道のプロと話していて、「今はサラリーマン化したから」という、嘆きとしての言葉が聞かれることが多い。では、このサラリーマンの対極にある姿とはなんであろうかと云えば、「プロ」でありもっと日本古来の言葉で云えば「職人」を指しているのだろう。

 個々で「職人」とか「職人気質」(しょくにんかたぎ)と呼ばれることについて、私が想定することを以下に記してみたい。
 まず、「職人気質だなぁ」等と呼ばれる場合、良い意味で呼ばれる場合と悪い意味で呼ばれる場合があるだろう。良い意味での職人気質とは、技術者としての仕事をとことん追求しつつ極めていくタイプであり、場合によってはコストを度外視し、例え自分の身を削ってでも追求していくという職人としての強いプライドとか正義感というものを持った方であろうと思う。また、悪い意味での職人気質とは、融通が利かず昔の経験のみに頼り、決して新しい知識を受け入れず、ただプライドだけが強いといった様な頑なといえるタイプであろうかと思う。

 私が業務で訪問する整備工場さんや板金塗装工場さんには、いわゆる「職人」と呼ばれる方々が多くいらっしゃる訳だが、その中には上記に記した良い意味での方と、悪い意味での方の両方が存在している様に見受けられる。そして、良い意味での職人気質の方に接した時、私はその方に魅力を感じる。そんな、強いプライドを持った方から「俺は職人だ」等と云われると、「私も自分を職人だと思っている」と、つい私の本音が出るところなのだ。

 ところで、企業の経営者から見た職人気質とはどうなのであろうか。悪い意味での職人気質は問題外として、例え良い意味での職人気質の方に対しても、そのプライドの強さ等から、それを敬遠し黙殺するといった傾向があると思える。特に大企業になる程その傾向は強く、企業経営者は平準化した社員(いわゆる金太郎飴)を作りたがる様に感じられる。つまり、このことが「サラリーマン化した」という言葉になって表れている様に思える。

 しかし、私思うに、良い意味での職人気質を殺ししまっては、決して企業としての成長・発展は有り得ないと思うところなのだ。

 最後に、日本の職人に対しての価値というか社会的地位の低さ(そのフィーの低さも含めて)を嘆くところだ。伝え聞くドイツでのマイスター制度等は、魅力を感じるところでもある。


#サラリーマン化 #職人気質


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。