スズキの最高責任者たる鈴木修氏が、齢91にして、やっと代表権のない相談役にという報を見た。
Wikiで見てみると、1930年1月30日岐阜県下呂生まれ、旧姓松田とのこと。1958年(28才時)に現在の愛知銀行勤務から、スズキの2代名社長鈴木俊三氏の娘婿となる。
爾来、本年(2021年)まで、63年という長期に渡りスズキに所属し、ほとんどを最高経営責任者として過ごして来たのだろう。自動車もそうだが多くの製造業で、技術部門から出発し、最高経営責任者に至る例が多いのだろうが、この方は本当のゼネラリストで、基本方針から、総務、人事、経理と企業中枢のことを一手に仕切って60年を越える機関その席に存したというのだら、極めて希な事例となる経営者だろう。
同氏については、ホンダ、ソニー、松下(パナソニック)の創業者みたいな語録はあまり伝わっていない。しかし、ススキの企業発祥は、スズキ式織機からスタートしているところはトヨタに似ている。そして、まずはオートバイ作りから出発、そして自動車製造にも乗り出して成功すると云うのは、ホンダやBMWと類似している部分もある。オートバイについては、今でも世界第一級のスポーツバイクも作り続けている。昭和30年から40年代初旬まで、ヤマハも、自動車作りに発展するかどうかの思案は生じたと思う。しかし、ヤマハは親会社のヤマハ楽器の同意を得られず、オートバイ+自動車メーカーとなれたのは、ホンダとスズキだけだ。
しかし、これだけの長期政権となると、政治でも経営でもそうだが、様々な矛盾が吹き出して破綻を招くと云うのが一般的な世の流れだろう。だから、各国の元首など、元首の継続に一定の縛りを入れているのだろう。想像するに、同氏の長期政権は批判の声も相当にあったことと思う。しかし、同族経営の隘路に陥ることもなく、一端進出しても、目がないと判断するや、北米や中国のようにさっと引くところなど、大将としての指揮に狂いはなかったのだろうと思える。だいたい、日本も同じくだが、ドイツの自動車や医療、製鋼、化学分野の企業等、中国で成果を上げた様に見えるが、これから引くことならず、もしやろうとすれば相当な血が流れる隘路に完全にトラップされてしまっている。したたかな名物爺さんだったが、名将であったことに疑いはない。
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鈴木修スズキ会長退任へ 91歳、代表権ない相談役に 体制一新
2/24(水) 21:21配信 毎日新聞
スズキは24日、鈴木修会長(91)が6月開催の株主総会で会長職を退任すると発表した。鈴木氏は40年以上にわたって経営を主導。インド進出などを成し遂げ、スズキを世界的な自動車メーカーに成長させた。2019年にはトヨタ自動車と資本提携を結び、環境対応など先進技術開発に向けた体制も整えた。退任後は代表権のない相談役になる。
鈴木氏は24日に開いたオンライン記者会見で「中期経営計画を着実に実行するため、役員体制を一新して後進に道を譲ることを決めた」と述べた。スズキは同日、電動化推進と品質向上を柱とする新たな中期経営計画を発表。副会長や役員の一部も刷新する。
鈴木氏は岐阜県出身で、1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。創業家出身で義父の鈴木俊三社長(当時)のもとで経営を学び、78年に社長に就任した。アルトやワゴンRなど軽自動車の販売を拡大し、海外展開も推進。特にインドでは長年、5割前後の販売シェアを押さえている。また、自らを「中小企業のおやじ」と呼び、現場重視の姿勢を貫いた。
00年に会長に退いたが、後任社長が健康上の理由で退任。後継の「本命」とされた娘婿も急逝し、リーマン・ショック直後の08年12月、経営環境が急速に悪化する中、「私が責任を持つ」と社長に復帰した。若返りを図るため、15年に長男の鈴木俊宏氏に社長職を譲り、会長兼最高経営責任者(CEO)となったが、翌年に燃費データの不正計測問題が発覚。CEO職を返上し、トップダウン経営から集団指導体制への移行を進めていた。
自動車業界は、自動運転や電動化などの大転換期にある。スズキは先端技術開発には出遅れたが、19年に生き残りに向けてトヨタとの資本提携に合意した。昨年の世界販売台数は前年比18・6%減の244万7971台。国内販売台数では昨年、ホンダを抜き、トヨタに続く2位に浮上した。【松岡大地】
Wikiで見てみると、1930年1月30日岐阜県下呂生まれ、旧姓松田とのこと。1958年(28才時)に現在の愛知銀行勤務から、スズキの2代名社長鈴木俊三氏の娘婿となる。
爾来、本年(2021年)まで、63年という長期に渡りスズキに所属し、ほとんどを最高経営責任者として過ごして来たのだろう。自動車もそうだが多くの製造業で、技術部門から出発し、最高経営責任者に至る例が多いのだろうが、この方は本当のゼネラリストで、基本方針から、総務、人事、経理と企業中枢のことを一手に仕切って60年を越える機関その席に存したというのだら、極めて希な事例となる経営者だろう。
同氏については、ホンダ、ソニー、松下(パナソニック)の創業者みたいな語録はあまり伝わっていない。しかし、ススキの企業発祥は、スズキ式織機からスタートしているところはトヨタに似ている。そして、まずはオートバイ作りから出発、そして自動車製造にも乗り出して成功すると云うのは、ホンダやBMWと類似している部分もある。オートバイについては、今でも世界第一級のスポーツバイクも作り続けている。昭和30年から40年代初旬まで、ヤマハも、自動車作りに発展するかどうかの思案は生じたと思う。しかし、ヤマハは親会社のヤマハ楽器の同意を得られず、オートバイ+自動車メーカーとなれたのは、ホンダとスズキだけだ。
しかし、これだけの長期政権となると、政治でも経営でもそうだが、様々な矛盾が吹き出して破綻を招くと云うのが一般的な世の流れだろう。だから、各国の元首など、元首の継続に一定の縛りを入れているのだろう。想像するに、同氏の長期政権は批判の声も相当にあったことと思う。しかし、同族経営の隘路に陥ることもなく、一端進出しても、目がないと判断するや、北米や中国のようにさっと引くところなど、大将としての指揮に狂いはなかったのだろうと思える。だいたい、日本も同じくだが、ドイツの自動車や医療、製鋼、化学分野の企業等、中国で成果を上げた様に見えるが、これから引くことならず、もしやろうとすれば相当な血が流れる隘路に完全にトラップされてしまっている。したたかな名物爺さんだったが、名将であったことに疑いはない。
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鈴木修スズキ会長退任へ 91歳、代表権ない相談役に 体制一新
2/24(水) 21:21配信 毎日新聞
スズキは24日、鈴木修会長(91)が6月開催の株主総会で会長職を退任すると発表した。鈴木氏は40年以上にわたって経営を主導。インド進出などを成し遂げ、スズキを世界的な自動車メーカーに成長させた。2019年にはトヨタ自動車と資本提携を結び、環境対応など先進技術開発に向けた体制も整えた。退任後は代表権のない相談役になる。
鈴木氏は24日に開いたオンライン記者会見で「中期経営計画を着実に実行するため、役員体制を一新して後進に道を譲ることを決めた」と述べた。スズキは同日、電動化推進と品質向上を柱とする新たな中期経営計画を発表。副会長や役員の一部も刷新する。
鈴木氏は岐阜県出身で、1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。創業家出身で義父の鈴木俊三社長(当時)のもとで経営を学び、78年に社長に就任した。アルトやワゴンRなど軽自動車の販売を拡大し、海外展開も推進。特にインドでは長年、5割前後の販売シェアを押さえている。また、自らを「中小企業のおやじ」と呼び、現場重視の姿勢を貫いた。
00年に会長に退いたが、後任社長が健康上の理由で退任。後継の「本命」とされた娘婿も急逝し、リーマン・ショック直後の08年12月、経営環境が急速に悪化する中、「私が責任を持つ」と社長に復帰した。若返りを図るため、15年に長男の鈴木俊宏氏に社長職を譲り、会長兼最高経営責任者(CEO)となったが、翌年に燃費データの不正計測問題が発覚。CEO職を返上し、トップダウン経営から集団指導体制への移行を進めていた。
自動車業界は、自動運転や電動化などの大転換期にある。スズキは先端技術開発には出遅れたが、19年に生き残りに向けてトヨタとの資本提携に合意した。昨年の世界販売台数は前年比18・6%減の244万7971台。国内販売台数では昨年、ホンダを抜き、トヨタに続く2位に浮上した。【松岡大地】