私の思いと技術的覚え書き

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KYを思う

2011-09-05 | コラム
 KYとは空気が読めないの俗語でしょうが、空気を読める方が読めない方を侮蔑した言葉であろと思います。しかし、空気が読めることが、単純に良いことだとは到底思えないことです。もっと云えば、絶えずきょろきょろの廻りを見回し、空気を読むことだけが目的化し、そのことだれに腐心し、常に空気にシンクロだけしようとする人々の方こそ、如何なものであろうかと思います。

 日本には過去から「和をもって尊ぶ」なる格言があり、争いを避け円滑なる社会運営が行われて来たと云う良い面があろうと感じます。しかし、先に記した様な、自らの意見を何ら持たず、各意見の善悪をろくに吟味もせず空気を読んでシンクロだけしようとする多くの人々に、大げさですが危惧感を持たざるをいられません。

 場の空気は、絶対者や権力者もしくは権威者、そしてオピニオンリーダーたる人々によって端緒が作られるのだろうと感じます。しかし、それが各組織体とか社会のためになる考え方であるなら良いのですが、そうではない単なる組織維持とか邪悪な私欲からなされる場合も往々にしてあると体験して来ました。この様な場合に、そのことに騙されないことも大切ですが、疑念を感じつつ何ら意見を唱えず押し黙る者が多いと、邪悪な空気があたかも民意として充満してしまうという恐ろしいことになるのだろうと思います。

 ちょっと話しが逸れますが、我々日本人は常に絶対者もしくは頼りがいのあるリーダーを求めているのだと、各種書籍には記されています。このことは逆説的に云うと、国民一人一人の依存心が強いことを表しているといえるでしょう。絶対者に絶対服従命令を受け、それに従うことで安堵する国民とは、正にマゾヒズムな気質を持った国民といえるのでしょう。ちなみに、絶対者のいない現在、マゾシストが増加していると伝え聞きます。



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