私の思いと技術的覚え書き

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自整業・PB業の進むべき方向性を思う

2022-01-25 | コラム
自整業・PB業の進むべき方向性を思う
 筆者は約半世紀近く自整業およびBP業と触れ合って来て思うところだが、今後のこれら業界には極めて暗雲が漂うと想像している。

1.自整業・BP業に内在し、今後明確化すると思える諸問題
 その考えられる要因は幾つかあるが、以下の様な要素が思い浮かぶ。
①EV化への大きな変化
 世のすべてがEVになるとは思えないが、かなりの比率でEV化されるだろう。その時、従来あったエンジンとかトランスミッションに関わるメインテナンス整備売上は目減りするだろう思える。その分が、EV用のバッテリーなどの機器の整備で挽回できるかと考えた時、EV用バッテリーはユニット部品であり、一工場の手に負えるものでもなく、リビルトなどは専業工場での対応になるだろう。

②ADAS(先進安全システム)対応車の増加
 自動運転を最終目標としたADAS採用車は、今後増え続け普及して行くだろう。その時、旧来の、今まで通りのエンジンオイル、ファンベルト、ブレーキパット、ワイパーブレードくらいだけを交換し、後は知識もなく、感と経験と従来の延長だけの業務で今まで生存できた工場経営が成り立たなくなる要素は増加すると想像できる。

③高度整備のディーラーへの占有化
 現在の車両法では、その法令の中に、整備情報の提供ということで規定がなされてはいるのだが、ますますシステムが高度化する中で十分な整備情報の提供が果たされているかとなると甚だ疑問を感じるところだ。
 このことは、今年の2月以降の新型車から採用が義務付けられるサイバーセキュリティ対応として、整備事業者なりがメーカーとのアカウント許諾を受けた場合のみ対応できることになっているが、その料金は特段法令には定めはない。この料金を車両メーカーが無料にするとは考えられず、その料金設定によっては、既存のディーラー以外は経営が成り立たなくなるほど整備原価を押し上げることなり、経営が成り立たなくなる要素があり得るだろう。また、ディーラー自身も、近年の国内新車需要の落ち込み傾向から、最大メーカーのトヨタでさえ、既存のチャンネル体制を破壊する全店併売に踏み切った中で、既存の全ディーラーが生き残るとは考え難い。

④高齢化社会と自動車保有台数の減少
 日本は高齢者人口が増えつつあり、警察など監督官庁では高齢者になるべく車両保有もしくは使用をしない施策を進めている。それと、既に自動車保有台数はピークの8千2百万台を境に減少する傾向を示しているのだが、自動運転レベル1(すべての道路で完全自動運転)が達成できるかは困難とも想像するが、レベル2(一定以上の整備された主要な道路では自動運転が可能)のレベルは実現されるだろう。もし、レベル2程度の車両が普及した場合、まずは法令で、高齢運転者とか交通量の多い都市での、既存の自動運転でない車両の運転は運行を禁じられる処置が取られるとも想定できる、この様な時代になると、車両の個人所有への意欲はますます減退し、ライドシェア(複数人以上で共同で車両を所有使用するビジネスモデル)とかサブスク(使用期間に応じて使用料を支払うというビジネスモデル)は著しく進行するだろう。この場合、保有台数は大幅減少を生じるだろうと想像する。

⑤クラッシュリペアの減少
 既にこの減少は生じているのだが、事故の損傷程度を小、中、大の3分類した場合、大の分類に入る車体骨格が著しく変形した事故車は、クラッシュセーフティデバイス(エアバッグ類)も作動している場合がほとんどだろう。この場合、エアバック類デバイスの交換部品代が著しく修理費を増加させることで、物理的には修理は可能でも、その時価額を超えるもしくは近時値に近くなり易く、修理されない案件が著しく増加したことが理由としてあるだろう。
 つまり、現在のクラッシュリペアの対象車両は、小もしくは中ダメージまでの損傷が前提化することで修理施行台数の減少になっていると思える。このことは、ADASのミリ波レーダーとかLiDAR(ライダー)、そして前方近接センサーとしての超音波センサーなど含め高額な前方センサーの事故時の取替要素により、修理費の高額化を招き、中ダメージ車の修理台数にまで影響を与える要素を持つと想像できる。

 一方、衝突被害軽減ブレーキ(いわゆる自動ブレーキ)の採用車は近年増えつつあるのだが、R2年整備白書のデータとして、対前年比で事故車整備台数が約10%減少しているのだが、これはコロナ病変による1台当たりの運行距離数減少の影響もあると思えるが、この自動ブレーキの装備の寄与もあると思える。つまり、ADASの進歩と普及により、事故車入庫はますます少なくなる要素を大きく持つと思える。

⑥ディーラー以外の一般工場における平均年齢の高さと平均給与の低さが示すもの
 ディーラ以外の自整業(BP工場も一部含むと考えて良いだろう)の工員平均年齢は、ザックリと50才だ。そして、その平均年収は360万円なのだが、このことは若い後継者が勤務していないことを示すことであり、50才に至って年収360万円では、若い後継者が入社しようという動機にならないだろうことを示している。このことは、この業界の未来を否定するものであり、給与を引き上げないことには、若い後継者に魅力は持ってもらえないだろう。

 ところで、外国人労働者に期待するという意見もあるが、筆者としては極めて危険で将来に大きな禍根を生じる問題を生じる思想だろうと考えている。と云うのは、欧米において、外国人労働者が増えたことにより、本国人の給与水準が引き下げられるという分断とも云える事態が報じられている。
 外国人労働者は大企業とか単純労働者を欲する者には望ましいことであろう。しかし、中小零細、しかも自整業とかBP業の作業は単純労働とは云えず、それなりの知識と経験が求められる職種であるという点を考える必用がある。
 つまり、具体例を記せば、既に外国人労働者を見るケースとしてコンビニの店員などがあるが、こういう職種と自整業やBP業と比べると、個別顧客や上司や周辺とのコミュニケーションがまともにできることが大前提となるのだが、業務形態が単純でない業種程、甚だ困難な要素を含んでいると思える。

 なお、人材不足のことだが、サービス業の各業種で見られる現象だが、給与水準を引き上げることができれば、その潜在性はあるのだろうと判断している。

2.問題点の解消として想定し得る方向性
 先に上げた問題点を解消するのは、結論としては、なかなか難しいことであると思える。特に、現在、国の分解整備認証を得ている工場数は、全国合計で91千工場があり、その平均工員数は4.4名という零細さだが、これではこれからの自整業やBP業に求められる設備機器を満足に備える費用(工場費に分類される工場運営のための固定費)を吸収ことはできないだろう。従って、91千工場がそのままの状態で生き残ることはあり得ないだろう。

 一方、街のあらゆる中小零細な小売店がほとんどとすべてなくなってしまった現在、何故に自整業やBP業が91千工場も存続し得たかの理由を考える時、2つの要因があるだろうと思える。1つは車検という法整備の庇護であり、2つは自動車保険という制度があったということだろう。もし、これら法制度がなく、保険という制度が今ほど普及していなければ、91千工場も存続することはなかったろうと思える。

 その街の小売店が淘汰された理由として、当初は大資本による大型店の出店が、そして近年は巨大IT企業による通販の発達ということがあると判断できる。しかし、自整業やBP業に、後ほど警戒すべきこととして述べるが、仲介することで利ざやを稼ぐ介入はあるものの、本格的に大企業や巨大IT企業自体が、自整業とかBP業に進出することはなかった。
 これをどう解釈できるかと云えば、自整業もBP業も行う作業は工業的なのだが、やはりサービス業の範囲に入るのだが、そのサービス業としての構成員に求められる知識、経験、スキルなどが、いわゆるコンビニの店員とかに比べると深く高度で平準化できない要素が多分にあるからと云えるだろう。だから、およそ平準化できず作業者の高度なスキルに負うリスクが高い業種として、自整業とかBP業に、大資本が直接乗り出すことはなかったのだろうと思考する。

 その証拠に、車両メーカーは、今や自動化が進んでおり、一部の高度な知識を持つ保守要員が設定を行うのみだ。車両メーカーに従事する大多数の工員は、最終の艤装ラインという半完成した車体に各ユニット部品を組み付けるラインのみ人手を掛けた作業を行っているが、その作業員はいわゆる期間工とか派遣社員とか、まったくのド素人でも、僅かな教育程度で作業がまっとうできてしまう。
 ただし、これはほとんど余裕と云う人間の性を否定する機械としての作業を人に要求するものであって、働く労働者にとっては極めて厳しい労働だろうと思える。
 これも機械化しようと思えばできるのだろうが、モデルチェンジする都度、その対応ジグとかシステムを変更するコストより、人がやった方が現在のところメリットがあるから人海戦術を取っているが、将来車両のユニット化がもっともっと発展した場合、艤装ラインにもほとんど保守要員しかいない車両工場というのができることは予想される。
 話しが若干自整業から車両メーカーにまで振れたが、自整業やBP業に戻すと、作業を平準化しようにもできかねるし、しかも個別作業1つを考えてみても、新車の製造より、余程車両自体も平準化の度合いは極めて分散しており、作業スパン(工程時間)も長くなればなるほど不確定な分散要素は拡大する。そもそも保険会社で当然の如く気軽に云う標準という状態とは、極めてあいまいかつ乖離していると考えているのが私見なのだ。

3.結論を出す前に世に見られる事象から警戒すべきこと
 ここでは、最終の結論に至る前に、前提条件として周辺に垣間見える警戒事項として記してみたい。

①資本力にもの云わせるエージェント思考に警戒せよ
 先に、大資本は、自整業とかBP業に直接乗り出すリスクは犯さないと記したが、間接的に関与する事例は各種ある。その代表例がディーラーであり、大手運送業者などが運営する直営整備およびBP工場だろう。ただし、大概の場合、これらは別法人であり、給与や福利厚生も含め独立した法人として、それぞれの自己責任の中で運営しているのであって、資本金と人事権は大資本が管理しているが、大資本自らと比べると、およそ低賃金、低福利厚生という環境の中で、その投資リスクを軽減させているのだ。

 これと同じく、保険会社も類似で、人事権を持つ本体職員を極小にしておいて、販売は代理店(エージェント)に丸投げして、代理店マージンという形で売上(保険料)を得ている。
 また、保険会社内部の保険金支払部門は、以前は嘱託とか契約社員が多かったが、昨今は、全国型(旧来からの総合職に準じる)と地域型(通勤可能な範囲での転勤に限る:従来の契約社員)に分け、その給与水準とか昇級に大きな格差がある。なお、地域型は管理職にはなれない。
 なお、従来は別法人の株式非上場の損害調査会社というのが各社に存在したが、大きな要素としては非弁法に抵触するリスクを怖れ、現在では2社を除いて損害調査会社は保険会社本体に吸収されている。ただし、その地位とか給与は、先に記した全国型と地域型に別れている点は類似しているが、その人事権を含む地位とか給与水準が向上したという話しは聞いたことがなく、むしろ低下しつつある様子が垣間見える。

 何れにせよ、ここに記したように、大資本はその資本力をものを云わせ、エージェント組織を構築し、その運営は自己責任でリスクを回避するというのが常套手段だ。その端的な事例が、コンビニを筆頭とするフランチャイズチェーンと云っていいだろう。コンビニが世に登場してから、40年程経ると思うが、各地で目立つのは、元コンビニ店舗の跡地だ。土地建物のオーナーは、速やかに後続の賃貸者が入ってくれれば良いが、何十年も無人のまま、朽ち果てていく元店舗跡を見ることも珍しくない。

②大した資本力もないくせに、独自の運営手法があると名打って商標やブランド化を装い中抜きする業者
 これは自整業・BP業だけに限らないのだと思うが、独自の商標やブランドを、さも価値あるが如く宣伝し加入者を募集して商売を行う業者がある。こういう業者の本部(本社)は、案外地方都市にある場合が多い。
 こういう世間一般から見ればさして知名度もない業者と、よくぞ契約する自整業がいるなと若干驚きを持ってその自整業の経営者を眺めるのだが、だいたいは2代目か3代目経営者である事例が目立つ様に感じている。

 商売の戦略として、差別化とかブランド化と云うのは、一つの手法として理解するところだが、それを人を頼ってただレールに乗り上手く行くほど甘いものではないと思うのだが・・・。つまり、その経営者の依存心の強さとか無思考・無能さが、端的に現れている事例だと冷ややかに眺めている次第だ。

③小狡い中抜き業者
 現在、一般社団法人の設立は、株式会社とほぼ同様の手続きで登記することができる。これが、特定非営利法人とかだと、種々審査があり早々簡単な登記はできないが、一般社団法人は誰でも即取れる法人資格の一種だと思って間違いないだろう。
 この一般社団法人の肩書きを見ると、従前の様々な経験から、まずはアラート(警戒)すべき対象と意識する。一般社団法人だから、利益抜きでやらなきゃならないとか、公共的な理念規則が求められるとか、そんなものはない。しかし、自整業やBP業相手に、一般社団法人○○協会を名乗り、ちょっと時流に沿った知識を振り回すが、よく考えれば判りそうな些細なことを大きな問題の様に誇張したり、いかがわしい役にも立たない様な測定器や工具を高値で売り付ける業者がこの世には存在する。そういう業者のHPに、取引戴いた業者名として掲載されることを該当自整業やBP業の経営者は恥と思えと感じる次第だ。

4.筆者の考えるこれからの自整業・BP業のあるべき姿
 自整業およびBP業には、日整連および日車協という業界組織がある。これについては、筆者は否定するつもりはない。それぞれ、業界にとって、価値ある活動もされていると思っているが、いささか物足りないという思いを持つことも事実なのだ。
 ちなみに、日整連(日整商)については、分解整備事業者は100%加入しているのだが、これは法令で強要している訳ではないものの、例えば定期点検ラベル(丸ラベル)は日整連(日整商)加入工場でないと購入できないとか、様々な加入手法が駆使されている。
 ただ、各地区の理事は国交省の天下りを受け入れているとか、言葉が悪いが国交省の下僕機関になっていないかという思いもある。
 日車協については、入庫台数減とか右肩下がりの時代になり、元々法的な縛りも弱く、その加入工場の目減りも年々著しく進んでいる様だ。
 そんな中思うことは、現在の全国91千工場(平均工員数4.4人)の時代は、今後もそうそう続く訳がないと考える他ない。そもそも、4.4名の工員数で、これから要する設備機器を導入し維持管理して行く工場費を捻出することは不可能だろう。
 となると、91千工場は数を単純に減らすんではなく、1社当りの平均工員数を増やす、つまり工場の業容を大規模化する方向性が求めるしかない様に思える。

 それと、レバーレートについては、今まで損保主導でその対応価格が平均消費者物価だけに偏って受け入れて来た(受け入れたのは、主導的な大規模ディーラー)様に思えるが、消費者物価指数は全費目の平均であり必ずしも自整業やBP業にイコールである訳でもないのに、それに流されレバーレートも自社の原価計算などもなされず決定された形になっていたのではないだろうか。
 しかし、思うのだが、その対応単価を損保と合意するに至ったディーラーは、そもそもその単価の計算根拠を確認しているのかと問いたい。筆者は、過去、損害調査員として活動して来たが、レバーレートの計算の論理は承知しているが、対応単価の計算をどうやっているのか説明を受けたこともない。このことは、損保は説明責任があるのだから、それなりの合意したディーラーは、質してみるべきだろうし、もし、強要を受ける一般工場があったら、説明を求める必用があるだろう。

 何れにしても、過去の運輸省の時代レバーレートの件は、修理費の明朗化という中で、各社が自社のレバーレートを計算し正当な原価を把握して請求しなければならないと2度の局長通達が出されている。これについては、損保も、対外的にはその通りと公言しているところなのだが、その地区のディーラー価格が最上位で、普通の街工場は、同種同等の工場規模により、それより低いのが当たり前という認識でいる。この様な不整合を質して行くには、各社が自社のレバーレートをと云うか、正確な原価計算を行い、それに適正と信じる利益を加えたレバーレートを主張していく時代ではなかろうか。

 また、給与水準については、この業界をリフレッシュしていくためにも欠かせない要素であることは、設備機器の充実より大事なことであるかもしれない。その場合、出来うればのことであり、今現在どうすればできるとまでは手法は編み出せていないが、工員個人別の売上と原価の粗利を把握し、能率が高い工員には、それなりの見返りとなる報酬が得られる仕組みを模索するする必用がある様に思う。

 最後になるが、現在ある日整連および日車協を否定はしないが、それはそれとして、同業者同士の縦ではなく横の連携を現在のIT時代に即した仕組みを利用して模索して行く方向が欲しいと思える。この思考は、元同じ親方だとか、日頃の同業界などで気が合うとか、設備機器だとか塗料購入業者が同じだとかで、知り合った極小単位の横の繋がりはあるのだが、日本全国を網羅できる様な横の繋がりとして発展できれば素晴らしいと思う。

 それと、ドイツには中世の頃にできたというギルドという職能別集団での思想とか活動が現在でも続く様だが、中小零細企業だとほとんど労働組合もない場合が多い訳だが、ギルド的思想と労働組合的な思想を結び付けてはどうかと思う。これは、その企業で働く労働者が一方的に隷属するのではなく、ある場合には経営者の私見だとか偏見を越えて思考したり、対外的に意見を表明したりすると共に、自らを律し自治を高め、経営者だけでなく、元請けや保険会社、監督官庁にもある場合は提言していける組織であって欲しい。

以上


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