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天皇と安倍政権の不仲説

2023-03-10 | コラム
天皇と安倍政権の不仲説
 実のところ拙人に天皇否定を行う意思はないが、戦前にあった国体(天皇が国を司る王たる思想)的な思いはいささかもない。つまり、端的に述べれば天皇の存在は積極的に否定はしないが、消極的否定を秘めつつ、日本文化の一つとして残されても良いのでは程度の意識なのである。

 その様な天皇であり戦後は特に法的発言を憲法でも否定されているところであり、現論の自由が保障された一般国民から見ればある意味気の毒な方々でもあると感じるところもある。

 そういう中で、前天皇たる平成天皇と安倍政権との不仲説というのが一部で云われていたことを思い出す。冒頭記した様に私にそもそも天皇に対する関心が薄く当問題に詳しい訳ではないのだが、要するに以下の様な問題があったからだと云われている。

 つまり、安倍政権の思想は、現代の岸田政権にそのまま引き継がれているのだが、端的に云えば、逆コースと云われる戦前回帰の国家思想に戻ることだと云えよう。このことは間接的に、教育勅語(勅語とは天皇の言葉の意)の半ば容認とか、戦前の家父長制度への固執、同性婚とか夫婦別姓の否定、ますます深まる対米従属等がある。これについて、平成天皇は、直接的な発言は何らしていないのだが、極めて婉曲、間接的な表現ながら、戦争の危機を訴えた発言があったと意識している。それを敏に察したのが安倍元首相であり、後刻においてその意趣返しとも取れる安倍元首相からの発言もあったやに知ることができる。

 ただ、私はこれを知った時、どうでも良いと思っていた平成天皇のことをやや見直す心を感じたというのも確かなところなのだ。つまり、TVの言論人とか云いたいことを端的に言い放つ下らないタレントと意識する者が日本に存在するが、あえて安倍政権もしくは安倍前首相への発言となると押し黙り、提灯持ち言論人みたいに持ち上げることはしないが、消極的態度を示す者がいる。

 私はこの年まで生きてきたが、社会人として一定の知見を得てから意識して来たこととして、ある問題を意識して、それが自らの業の公正さに関わることであれば、どんなにKY(空気を読まない)であっても発言せずにはいられないという思いがあったのだ。つまり、専門家としての業に関わる不公正は、正そうと為すことがすべてであり、そこで押し黙ることは罪であると意識して来たのだ。つまり、その世界で生きて行くからには、為したこと、為さなかったことは、共に責任を持つべきことであると意識して来たというところなのだ。

 こういう話しを聞いて、それは無用な敵を作るし、人生に取って損な生き方だと嘲笑する方が多いことは十分承知している。しかし、私にはこと関わる業に関して、押し黙ることはできないというある意味不器用な人間だと意識はしつつ、成り上がることもできないのだが、1人の偏屈な専門家としてその、与えられた使命を裏切ることはできないということなのだ。

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新聞・テレビで報じられない天皇陛下「安倍総理への不満」
2017年、ニッポンの火種
週刊現代 2017.01.12
https://gendai.media/articles/-/50676

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安倍首相はなぜ天皇陛下を茶化したのか?
「生前退位」を有識者ごときが賛成反対を論ずること自体が不敬であり無意味!
藤井聡(内閣官房参与)×適菜収(作家)新春対談「2017年どうなる、どうする?」第2回《集中連載》
2017.01.19
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/4342/


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