私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

SLの良き思いで【再掲】

2021-10-28 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
初稿2012-06-04記述
 10年近く前だったが、NHKが深夜に放映している番組で「映像散歩」というのがあった。外国のもあるが、主に国内の山や花等の自然、街や村の風情を上手く映像に収めたもので、NHK放送自体は好きにはなれませんが、これは良い映像アーカーブと思っていた。

 そんな、「映像散歩」の中に「昭和のSL映像館」というのがあった。たぶん昭和30年代後半から昭和40年代くらいまでの、全国各地、各路線を走るSLの姿を記録したものだ。これを見ると、凄い大量の煙を吐き、周辺の汚損が大変だなぁと思う反面、人が操作し力強く走る姿は魅力あるものだなぁと感じてしまうのだ。

 10年程前になるでしょうか、好きなSLを海小路蒸気機関車館(京都)にて堪能した時の写真と、若干の関連ごとを記してみたい。

 ここには、古い多くのSLが動態または静態で保存されています。そして、車庫は例の扇型車庫で、扇型の中心部となる位置に転車台(ターンテーブル)がある。

 思えば私が子供の頃の沼津駅にも同様のものがあった覚えがある。その昔、丹那トンネルが貫通するまで、現在の御殿場線が東海道本線であり、御殿場へ向けての山岳路線に向けて、沼津および国府津の両機関区は、大規模なものとして用意されていた様だ。特急列車は沼津で停車すると、急ぎ機関車の給炭や給水と共に、機関車の増結重連を行い、その先の急坂を登坂して行ったのだ。

 SLはどれも魅力はあるのだが、当時の最高馬力と最高速度を記録し、特急「つばめ」を牽引したというC62には特に魅力を感じる。C型ですから動輪は片側3つですが、高速を出すために動輪径が1mを越す程に大きく、大型のボイラー筒に食い込むが如くの様子は、凄いもんだなと思わされる。

 このSLの運転は、現在のクルマの様に何でもかんでもECU制御された時代とはまるで違い、全てを人が操作し、おそらく100kmも走行すれば、機関士も機関士助手も、身体はヘトヘトで顔は煤けて真っ黒になったと思う。だからなんだろうが、SLがあえぎ車体を左右に振って登坂する姿など、生き物の様に感じてしまうのだろう。





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