私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

私の仕事への思い

2008-11-10 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険

 私は約24年間を、アジャスターと云う職業に携わって来ました。この間の思いを総括すれば、種々の苦しみもあれども、本当に面白く遣り甲斐を感じつつ、ある意味で知的な好奇心を満たすことができる仕事であると感じています。そんな私が感じる知的好奇心として、以下に記してみます。

1.初めて見るモノへの好奇心

 私は、事故受付で初めて見るクルマ(に限らず物品類含む)の調査に出掛けられると知ると、わくわくする様な好奇心を感じます。また、同じクルマであっても、見たこともない損傷状態であったりしても同様の好奇心を感じる場合が多くあるのです。

 私の仲間の中には、何ら資料のない初めてのクルマ(貨物特装車や輸入車等)や大損害の調査を嫌う方も多少伺えますが、少なくとも私にはそんな思いはまったくありません。

 何故、そんな資料も少ないクルマや物品を見ることに好奇心を感じるかということですが、そんな少ない機会によって、新たな知見、体験を深められると思うことからなのです。特に資料がないクルマ等と云うのは、対する相手にだってロクに資料がない場合が多いものです。とすれば、こちらも自由に意見を述べる事由度も大きいものですし、それら案件に携わることによって、自らの知識は深まって行くものであると考えているのです。

2.初めて触れ合う人への好奇心

 私の周辺で噂される場合がある修理工場主さんで、気むずかしい、うるさい、修理費の決定(協定と呼ぶ)が難しいと聞くと、私は無性にその人物に会って見たいという好奇心を持ちます。

 また、事故受付段階から、種々の一般的でない問題が持ち出される、契約者さんや事故相手者さんについても、そんな主張を行う人物とはどんな顔をしてどんな思想を持っているのかと、強い好奇心を持ってしまいます。

 以上の様な好奇心として思いを持って接しますから、単にその問題を解決しようとする前段階としての面談時間は長くなりがちですが、それら接する相手の思想を知った上での解決は、決して一方的でない双方の合意形成に役立つものと考えているのです。

 私はアジャスターとしての業務活動の内、その内の9年を本社組織内での官僚の端くれみたいな立場で過ごして来ました。そして、その後も10年を超えて、現場兼務のマネージャーの真似事みたいな立場で過ごして来ました。これら期間を通して思うがありました。触れ合ったアジャスター達から相談を受けたり解決への援助を行う場合がありましたが、これら相談者達の一部からは、種々の交渉において接する者の人物像が伝わって来ないという場合があり、その様な場合に私には苛立ちの感情を生じて来たのものです。つまり「なんて浅い交渉をしているんだ!」という私の思いであるのですが、時代の変化もあるのでしょうが、現代にとっては酷な要求であるのかもしれません。

 しかし、時代は変わっても、人と人と関係においては、良く聞きその人の思いを理解しようとする(決してそのまま受け入れろということではなく)方法は間違ったものではないと信じるのです。




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