指数の疑問 その11【これからどうして是正して行くか】
過日報告した指数と米ミッチェル工数との比較表で、予想を超えた工数の乖離が生じている問題が把握された。これはある意味、元損保調査員として指数はある意味正当な科学的な数値だという意識を持っていたのでショッキングなことでもあった。また、従前の様々な工数策定とか過去に触れ合って来た指数策定に関与してこられた方々との触れ合いを通じて得られた教えというのが、様々な工数策定に関する論理条件を改めて知ると、かなりの欠落したもしくは知識不足の上でなされた所業があったと回想せざるをえないのだ。ただし、これら方々が恣意的もしくは作為的に意図してその様なことをしたとまでは思ってはいない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/37/9f5fc4a1059c8e4b6a6813332d7c80c6.jpg)
つまるところは、デモクラシー社会においては、説明責任だとかそれなりの論拠がある意見があれば、まずは充分意見に耳を傾け、是正すべきがあれば正して、損保側および自整BP業の双方が充分話し合い、折り合いを付けると云う行為が欠落していた様に思うところだ。その様な気風の中で、是正されるべきはなるべき実情に合った指数値とか対応単価も得られ、持って車両ユーザーの理解というべき社会の要請に沿うものができていくのだと思う。
私は指数なり工数というものを全否定するつもりはない。このことは自整BP工場側も同じだと信じている。該当整備を実施するに際し、まったくガイドラインがなく、掛かった時間を工場が決めた単価(レバーレート)なりで工賃を決める様な世となれば、およそ車両ユーザーにとって修理費の公正妥当感は失われてしまうだろう。その様な視点で、損保が指数を導入する提案を行った際も、自整BP業の方も、その必要性を認め、導入に賛意を持ち得たのだろうと想像している。
しかし、かつて元損保調査員の時代から、指数値に疑問だとか生じた際に、策定機関である自研センターお客様相談室に電話を入れて、問う機会は幾度もあったが、その当時の回答の仕方と、最近の回答では、ずいぶんスタンスが異なったと感じている。それは改めて記してみればこういうことだ。
かつては、自研センターお客様相談室では、こういう条件でとかそれなりの論理というもの回答の中心だったのだが、そのことは自研センターとして間違ったものは作っていないというプライドが感じられた。ところが、最近同様の質問をすると、まったく論理がないとは思わないが、最後に付される言葉は、「これはあくまで自研センターとしての参考数値です。使う使わないはお客様の自由です。対応損保と相談して決めてください。」と云うような言葉が付される。一方、公式発言として聞き及ぶのは、自研センターでアジャスター教育を行うに際しては、同じく指数値は自研センターの参考値であって、対するユーザーに強要できるものではないとしていると云う。しかし、それを運用する損保はどうだろうか。末端の現場アジャスターは、そういう意識でいるであろうかと考えた時、これは産業廃棄物処理費と同様だが、内心では工場側の論理が正しいと思ったとしても、損保本社の指導には逆らうことは、職を投げ出す覚悟がなければできないことではないかと想像せざるを得ない。そもそも現在の末端アジャスターで、どれほど指数の疑問として自研センターに電話してまで確かめている者がいるかと想像したとき、およそ少ないのではないかとも想像してしまうのだ。
また、これは拙人は在職当時は2年間だけだが自研センターに派遣された過去もあり、その後自研センター講師も数年担った経歴もあるので、かなり見知った職員も多く、気軽に電話などできたということもあるのだが・・・。
そもそも、現職当時は、本社教育担当とか現場へ復帰してもプレイングマネージャー的立場で、先輩や後輩の相談とかレポートの審査を行う業務も多かったが、当時は指数の付加要素(フォグランプ付き+0.2など)を、そもそもそういう視点で見たことはなかった。私が当時指摘したのは、あえて指数に設定がない項目として板金料金だとか、いわゆる整合性から、全体としての整合性とか、部分的な整合性(いわゆる別事故)に関わる指摘だとか、車両立会以外の必用な追加調査が何故なされなかったのかという指摘が多かったと回想する。しかし思い起こせばだが、当時も、例えてみれば重箱の隅をつつく手合いの同僚は存在したのであって、指数表に明示してある限りそれを根拠に大上段に細かい指摘を行う同僚がいたものだ。想像するに、今の画像センターのアジャスターが正にそれを行う日々だろう。また、現代の上位職のアジャスターが下位職のアジャスターへの指導も、うすっべらな問題指摘が多くなってしまっているのではなかろうか。
だから、工場側からすれば、あたかも数千円を値切るのがアジャスターの業務と勘違いとか、私の嫌いな「見積屋」という意識で眺めている工場が多いのではないだろうか。
さて、本論に戻るが、このシリーズで過去記して来た様に、日車協のHPにおける年譜でも「合同共同研究会の開催(タイムスタディーの実施)」と同報告という記述があるが、拙人が知る日車協下部会員工場で聞いても、ほとんどその認知は少ないし、ましてやその報告書の内容など見たことないという工場ばかりだ。この合同とは、損保側(自研センターは研究機関で決定権はないので損保協会と考えて良いだろう)と日車協の幹部会員工場に間で行われたものだろう。そして、この合同共同研究会とは、損保協会側が進んで開催したとは考えられず、日車協側が指数に不審を抱いた中の意見から出発したのだろうと想像できる。しかし、年譜に記されている都合2回の開催で、それぞれ何故中身が公表されていないのだろうか。これは独禁法に絡む問題でもなく、会本部は会員会費で運営されており、各部会員に報告しない(しているのかもしれないが少なくと知れ渡っていないので報告されたとしても一部限りだろう)のは、信義則違反ではないだろうか。一方損保協会が、アジャスター各位にこういう出来事が持たれたということを報告しないのも公平性とか透明性を重視すると公言している以上、信義則違反なのだが、もし損保協会側に一方的に論理的に何処からみても問題ないのであったなら公表しない訳がないとも思えて来る。
そもそも、指数でも工数でも同様だが、その信頼度の高低を除けば、数値を作り出すのは、さほどに大規模な調査機関とかコストが必用な訳はない。つまり、対象車両において、幾ら厳密な実測作業観測を行ったとしても、相当な回数を繰り返さない限り、この様な非マスプロダクション的作業の標準工数というのは生み出せないのだ。それには、策定コストや納期という問題もあり、非能率かつ数値自体の信頼度も限界がありすぎるのだ。このことは、添付に付する「作業研究」(並木高矣著・日刊工業新聞S45/12/25初版)には以下の様な記述がなされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/12/59ef903ebbb0b4bb99d6d323d079ab8c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/df/1828e87bd1eee149039b658ad0d993a8.jpg)
・不安定作業の標準時間
一般に10個以下の個別生産の場合は,類似品のみを専門的に扱う工場でないかぎり,作業はきわめて不安定にならざるを得ない.また主体作業時間に対する準備時間(これは元来不安定である)の比率が高いので,全鉢として不安定化してくる.この様な不安定な作業を標準化して,それに対する標準時間を求めることは不経済な場合が多い.そこで生産予定の決定や単価の決定に用いる時間は,経験的に見積時間として求めるのがふつうである.
つまり、予め構造研修(固定手法、個数)だとか、装着の難易度、位置合わせの要素数などを把握できれば、それら要素毎の積算によりある程度の見積積算ができると云うこと、これすなわち自研センターで云う基表方式であり、諸外国でもほとんどこの方式で行っている。
それと、様々方々と話していて思うのだが、ある作業の指数なり工数を策定しようとして、実測作業の試行しつつ事件計測したとするとき、大きな変動要素として、車両の状態、工場の環境があるだろう。特に車両の状態は、新車に近く汚れの少ない場合と、経年して腐食だとか固着が生じたり樹脂部品の脆化が極端な車両では、その程度が恐ろしいほど作業時間の影響を与えることは予想できるだろう。従って、現行指数でも、新車から1、2年の比較的新しく汚れや錆など少ない車両というのを標準状態としているのだ。
それと先に合同研究会というのがどういう形で行われたのか不知ながら、おそらく自研センターなりでその作業担当者が作業するのを、損保協会側および日車協側が同時に作業記録をしつつ、この作業は正味作業とか準備時間だとかを区分したと想像する。その中には、もしかしたら、作業者が迷いが生じて一度付けた部品を、その順序の誤りに気付いて付け直すという曲面もあったと思える。こういうのを作業の失敗と呼び、一般論としては除外するのだが、先の不安定作業の記述の通り、複雑な作業とか案外複雑でなくても、クリップだとか差し込み式での固定など、その取付に際する部品の角度などで、まごついたりやり直したりという迷いや試行錯誤という要素は必然として出てくる。これが、少量生産とある程度作業工程が長くなる場合の特徴なのだ。想像だが、この辺りの見解の差が相当で他のではないだろうか。
それと、準備時間とは、指数の考え方では、工場の保管場所から作業ベイまでの車両移動時間だとか、必用工具を作業ベイまで移動する時間などを指す。これは個別作業すべてに入れ込んでしまうと重複するので、ほとんどがフロントバンパ当りに入れ込んでいるのだが、粗出ししなければ部品が外れないなどの前提は、指数では除外している。それと、この作業時間で、すべての必用工具が必ずしも整えらるかは、工場の環境とか作業者の感の良さにも影響を与えるので、単発の作業で見極められるものではない。ましてや、余裕時間という考えがあるが、これは試行錯誤とかそういう余分な作業を前提とした余裕ではない。終日労務を行う中で、不規則にトイレに行ったり、別の用務で作業を中断せざるを得なかったり、作業速度が疲労のため、全般より後半で低下するなどの、作業を継続する中で人として書かせざるを得ない時間のことで、単発の作業において計れるものではない。
もう一つ記したいが、こういう合同研究会などの名目で作業を作業者に事前予告すれば、作業者の心理はどうだろうか。日頃の作業環境と違う者が時間計測するとなれば、作業者としては、恥を掻きたくないし、淀みなく作業を完遂しようという意識は働くだろう。つまり、例えて見れば競技会の様相を帯びてきて、標準以上の作業を生み出す可能性を考えなければならないだろう。このことは、複数名の作業者が居て、まったく同じ作業をやらせても、早い者と遅い者が存在するが、単に言葉では特に急いだりしないといっても、かなりの差異が出て、何処を標準に置くかという問題がある。この様な作業者の一定時間の作業速度をある程度補正する考え方がレイティングと呼ぶが、この当りの視点での検討がなされたのだろうか。
まとめに入りたいが、何れにしても策定された指数にしても工数にしても、作業者はプロが行うことが前提で、素人が行っても充分まっとうできる時間とするのは、対ユーザー目線で見て不適当だろう。しかし、その道のプロが、しかるべきモチベーションを持ち、致命的な落ち度もなく適切な作業を行ってまっとうできる時間値でなければおかしいということは云えるだろう。そういう点では、今次比較した、指数と米ミッチェル値とでは、全体格差約2倍、溶接系の格差に至っては3倍というのは、同じ車両前提にし、日本人は米国人より2倍作業速度が速い訳がなく、ん何か指数に欠落している要素があると疑念を持たざるを得ないのではないだろうか。このことは、ただ反発をすると云うより確かなガイドラインを得たい気持ちは、当事者双方にあると信じるので、特に請求者側は説明を求めていく必用があるのではないだろうか。
また、損保アジャスター諸君も、営利企業で勤めるからには上記下達に沿う宿命があるのだが、それ以前の問題として己の業務の社会的公平性をまっとうすべきが査定正義であり、ただただ決まっているという思考でなく、社会的公平性で眺めてどうなんだという意識も持ちつつ、自社幹部や自研センターに不合理性を質して行くことが必用ではないだろうか。
#指数とミッチェル比較 #作業時間の考え方
過日報告した指数と米ミッチェル工数との比較表で、予想を超えた工数の乖離が生じている問題が把握された。これはある意味、元損保調査員として指数はある意味正当な科学的な数値だという意識を持っていたのでショッキングなことでもあった。また、従前の様々な工数策定とか過去に触れ合って来た指数策定に関与してこられた方々との触れ合いを通じて得られた教えというのが、様々な工数策定に関する論理条件を改めて知ると、かなりの欠落したもしくは知識不足の上でなされた所業があったと回想せざるをえないのだ。ただし、これら方々が恣意的もしくは作為的に意図してその様なことをしたとまでは思ってはいない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/37/9f5fc4a1059c8e4b6a6813332d7c80c6.jpg)
つまるところは、デモクラシー社会においては、説明責任だとかそれなりの論拠がある意見があれば、まずは充分意見に耳を傾け、是正すべきがあれば正して、損保側および自整BP業の双方が充分話し合い、折り合いを付けると云う行為が欠落していた様に思うところだ。その様な気風の中で、是正されるべきはなるべき実情に合った指数値とか対応単価も得られ、持って車両ユーザーの理解というべき社会の要請に沿うものができていくのだと思う。
私は指数なり工数というものを全否定するつもりはない。このことは自整BP工場側も同じだと信じている。該当整備を実施するに際し、まったくガイドラインがなく、掛かった時間を工場が決めた単価(レバーレート)なりで工賃を決める様な世となれば、およそ車両ユーザーにとって修理費の公正妥当感は失われてしまうだろう。その様な視点で、損保が指数を導入する提案を行った際も、自整BP業の方も、その必要性を認め、導入に賛意を持ち得たのだろうと想像している。
しかし、かつて元損保調査員の時代から、指数値に疑問だとか生じた際に、策定機関である自研センターお客様相談室に電話を入れて、問う機会は幾度もあったが、その当時の回答の仕方と、最近の回答では、ずいぶんスタンスが異なったと感じている。それは改めて記してみればこういうことだ。
かつては、自研センターお客様相談室では、こういう条件でとかそれなりの論理というもの回答の中心だったのだが、そのことは自研センターとして間違ったものは作っていないというプライドが感じられた。ところが、最近同様の質問をすると、まったく論理がないとは思わないが、最後に付される言葉は、「これはあくまで自研センターとしての参考数値です。使う使わないはお客様の自由です。対応損保と相談して決めてください。」と云うような言葉が付される。一方、公式発言として聞き及ぶのは、自研センターでアジャスター教育を行うに際しては、同じく指数値は自研センターの参考値であって、対するユーザーに強要できるものではないとしていると云う。しかし、それを運用する損保はどうだろうか。末端の現場アジャスターは、そういう意識でいるであろうかと考えた時、これは産業廃棄物処理費と同様だが、内心では工場側の論理が正しいと思ったとしても、損保本社の指導には逆らうことは、職を投げ出す覚悟がなければできないことではないかと想像せざるを得ない。そもそも現在の末端アジャスターで、どれほど指数の疑問として自研センターに電話してまで確かめている者がいるかと想像したとき、およそ少ないのではないかとも想像してしまうのだ。
また、これは拙人は在職当時は2年間だけだが自研センターに派遣された過去もあり、その後自研センター講師も数年担った経歴もあるので、かなり見知った職員も多く、気軽に電話などできたということもあるのだが・・・。
そもそも、現職当時は、本社教育担当とか現場へ復帰してもプレイングマネージャー的立場で、先輩や後輩の相談とかレポートの審査を行う業務も多かったが、当時は指数の付加要素(フォグランプ付き+0.2など)を、そもそもそういう視点で見たことはなかった。私が当時指摘したのは、あえて指数に設定がない項目として板金料金だとか、いわゆる整合性から、全体としての整合性とか、部分的な整合性(いわゆる別事故)に関わる指摘だとか、車両立会以外の必用な追加調査が何故なされなかったのかという指摘が多かったと回想する。しかし思い起こせばだが、当時も、例えてみれば重箱の隅をつつく手合いの同僚は存在したのであって、指数表に明示してある限りそれを根拠に大上段に細かい指摘を行う同僚がいたものだ。想像するに、今の画像センターのアジャスターが正にそれを行う日々だろう。また、現代の上位職のアジャスターが下位職のアジャスターへの指導も、うすっべらな問題指摘が多くなってしまっているのではなかろうか。
だから、工場側からすれば、あたかも数千円を値切るのがアジャスターの業務と勘違いとか、私の嫌いな「見積屋」という意識で眺めている工場が多いのではないだろうか。
さて、本論に戻るが、このシリーズで過去記して来た様に、日車協のHPにおける年譜でも「合同共同研究会の開催(タイムスタディーの実施)」と同報告という記述があるが、拙人が知る日車協下部会員工場で聞いても、ほとんどその認知は少ないし、ましてやその報告書の内容など見たことないという工場ばかりだ。この合同とは、損保側(自研センターは研究機関で決定権はないので損保協会と考えて良いだろう)と日車協の幹部会員工場に間で行われたものだろう。そして、この合同共同研究会とは、損保協会側が進んで開催したとは考えられず、日車協側が指数に不審を抱いた中の意見から出発したのだろうと想像できる。しかし、年譜に記されている都合2回の開催で、それぞれ何故中身が公表されていないのだろうか。これは独禁法に絡む問題でもなく、会本部は会員会費で運営されており、各部会員に報告しない(しているのかもしれないが少なくと知れ渡っていないので報告されたとしても一部限りだろう)のは、信義則違反ではないだろうか。一方損保協会が、アジャスター各位にこういう出来事が持たれたということを報告しないのも公平性とか透明性を重視すると公言している以上、信義則違反なのだが、もし損保協会側に一方的に論理的に何処からみても問題ないのであったなら公表しない訳がないとも思えて来る。
そもそも、指数でも工数でも同様だが、その信頼度の高低を除けば、数値を作り出すのは、さほどに大規模な調査機関とかコストが必用な訳はない。つまり、対象車両において、幾ら厳密な実測作業観測を行ったとしても、相当な回数を繰り返さない限り、この様な非マスプロダクション的作業の標準工数というのは生み出せないのだ。それには、策定コストや納期という問題もあり、非能率かつ数値自体の信頼度も限界がありすぎるのだ。このことは、添付に付する「作業研究」(並木高矣著・日刊工業新聞S45/12/25初版)には以下の様な記述がなされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/12/59ef903ebbb0b4bb99d6d323d079ab8c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/df/1828e87bd1eee149039b658ad0d993a8.jpg)
・不安定作業の標準時間
一般に10個以下の個別生産の場合は,類似品のみを専門的に扱う工場でないかぎり,作業はきわめて不安定にならざるを得ない.また主体作業時間に対する準備時間(これは元来不安定である)の比率が高いので,全鉢として不安定化してくる.この様な不安定な作業を標準化して,それに対する標準時間を求めることは不経済な場合が多い.そこで生産予定の決定や単価の決定に用いる時間は,経験的に見積時間として求めるのがふつうである.
つまり、予め構造研修(固定手法、個数)だとか、装着の難易度、位置合わせの要素数などを把握できれば、それら要素毎の積算によりある程度の見積積算ができると云うこと、これすなわち自研センターで云う基表方式であり、諸外国でもほとんどこの方式で行っている。
それと、様々方々と話していて思うのだが、ある作業の指数なり工数を策定しようとして、実測作業の試行しつつ事件計測したとするとき、大きな変動要素として、車両の状態、工場の環境があるだろう。特に車両の状態は、新車に近く汚れの少ない場合と、経年して腐食だとか固着が生じたり樹脂部品の脆化が極端な車両では、その程度が恐ろしいほど作業時間の影響を与えることは予想できるだろう。従って、現行指数でも、新車から1、2年の比較的新しく汚れや錆など少ない車両というのを標準状態としているのだ。
それと先に合同研究会というのがどういう形で行われたのか不知ながら、おそらく自研センターなりでその作業担当者が作業するのを、損保協会側および日車協側が同時に作業記録をしつつ、この作業は正味作業とか準備時間だとかを区分したと想像する。その中には、もしかしたら、作業者が迷いが生じて一度付けた部品を、その順序の誤りに気付いて付け直すという曲面もあったと思える。こういうのを作業の失敗と呼び、一般論としては除外するのだが、先の不安定作業の記述の通り、複雑な作業とか案外複雑でなくても、クリップだとか差し込み式での固定など、その取付に際する部品の角度などで、まごついたりやり直したりという迷いや試行錯誤という要素は必然として出てくる。これが、少量生産とある程度作業工程が長くなる場合の特徴なのだ。想像だが、この辺りの見解の差が相当で他のではないだろうか。
それと、準備時間とは、指数の考え方では、工場の保管場所から作業ベイまでの車両移動時間だとか、必用工具を作業ベイまで移動する時間などを指す。これは個別作業すべてに入れ込んでしまうと重複するので、ほとんどがフロントバンパ当りに入れ込んでいるのだが、粗出ししなければ部品が外れないなどの前提は、指数では除外している。それと、この作業時間で、すべての必用工具が必ずしも整えらるかは、工場の環境とか作業者の感の良さにも影響を与えるので、単発の作業で見極められるものではない。ましてや、余裕時間という考えがあるが、これは試行錯誤とかそういう余分な作業を前提とした余裕ではない。終日労務を行う中で、不規則にトイレに行ったり、別の用務で作業を中断せざるを得なかったり、作業速度が疲労のため、全般より後半で低下するなどの、作業を継続する中で人として書かせざるを得ない時間のことで、単発の作業において計れるものではない。
もう一つ記したいが、こういう合同研究会などの名目で作業を作業者に事前予告すれば、作業者の心理はどうだろうか。日頃の作業環境と違う者が時間計測するとなれば、作業者としては、恥を掻きたくないし、淀みなく作業を完遂しようという意識は働くだろう。つまり、例えて見れば競技会の様相を帯びてきて、標準以上の作業を生み出す可能性を考えなければならないだろう。このことは、複数名の作業者が居て、まったく同じ作業をやらせても、早い者と遅い者が存在するが、単に言葉では特に急いだりしないといっても、かなりの差異が出て、何処を標準に置くかという問題がある。この様な作業者の一定時間の作業速度をある程度補正する考え方がレイティングと呼ぶが、この当りの視点での検討がなされたのだろうか。
まとめに入りたいが、何れにしても策定された指数にしても工数にしても、作業者はプロが行うことが前提で、素人が行っても充分まっとうできる時間とするのは、対ユーザー目線で見て不適当だろう。しかし、その道のプロが、しかるべきモチベーションを持ち、致命的な落ち度もなく適切な作業を行ってまっとうできる時間値でなければおかしいということは云えるだろう。そういう点では、今次比較した、指数と米ミッチェル値とでは、全体格差約2倍、溶接系の格差に至っては3倍というのは、同じ車両前提にし、日本人は米国人より2倍作業速度が速い訳がなく、ん何か指数に欠落している要素があると疑念を持たざるを得ないのではないだろうか。このことは、ただ反発をすると云うより確かなガイドラインを得たい気持ちは、当事者双方にあると信じるので、特に請求者側は説明を求めていく必用があるのではないだろうか。
また、損保アジャスター諸君も、営利企業で勤めるからには上記下達に沿う宿命があるのだが、それ以前の問題として己の業務の社会的公平性をまっとうすべきが査定正義であり、ただただ決まっているという思考でなく、社会的公平性で眺めてどうなんだという意識も持ちつつ、自社幹部や自研センターに不合理性を質して行くことが必用ではないだろうか。
#指数とミッチェル比較 #作業時間の考え方