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 私の思いと技術的覚え書き

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【書評】絶望の裁判所(瀬木比呂志著)

2022-08-06 | コラム
【書評】絶望の裁判所(瀬木比呂志著)
 この本は未だ完読していないのだが、教育というものに非常に示唆(しさ)を与える事例としての記述があったので覚え書きとして書き留めておきたい。なお著者は、裁判官として約35年勤務して、25年目ほどからどうにもいたたまれなくて、自分の希望する学術とか教育分野に転向を図り、明治大学法科大学院専任教授を勤めておられる方だ。

 さて、冒頭述べた教育に示唆を与えられた記述だが、その文節をそのまま転載してみる。

 戦後しばらくの間、日本映画はその質において疑いもなく世界の最高水準であった。これについては、敗戦と戦後の価値観の変動によって刺激された巨匠たちの危機意識が創造的なエネルギーになって結晶したことと、徒弟制システムの成果、蓄積によるところが大きかったのではないかと私は考えている。脚本、撮影、照明、編集、何れも名人芸の結晶であり、何気ないカメラのオペレーション一つとっても、すぅっと動いてここぞというところでぴたりと止まり、しかも、決して観客にカメラの動きを意識させたりしない。
 ところが、その後、日本映画は、時代の変化やテレビの進出に伴う徒弟制システムの劣化、疲弊に伴い、見る影もなくその質を落としてしまった。職人たちの技術も心意気も失われてしまったにもかかわらず、旧来のシステムに代わりうる新たなシステムが構築されなかったことが、その劣化の根本的な原因であった。
 現在の裁判所で進行しつつある事態もこれと似ている。教える側の質の低下に伴い、徒弟制的教育システムの長所が失われ、短所ばかりが目立つ様になって来ているのである。

 このことは、戦後直ぐの映画の巨匠というと、黒澤明、小津安二郎、木下恵介、山田洋次辺りを指しているのだと思えるが、確かにモノクロ作品で、現在の様なGGエフェクトなどもないし、ドルビーサラウンドの音響効果もないが、現在見てもよくリアルに撮影したなと感心する作品は多いし、小津作品の東京・・・シリーズなど、絶妙なカメラアングルで往時の文化を感じさせてくれる。

 この著者も映画からことを引いているが、裁判所の劣化も映画の凋落と同じで、教える側の劣化と云える、心意気だとか情熱、そして職業としての正義感が失われてしまった故に、これは裁判所だけに留まらずあらゆる業種で類似の現象が起こっているのではないかと思える。

 思い起こせば、私が損保調査員の駆け出しの頃、教育の立場にある多くの方々が、実にある時は雄弁に、ある時はドキリとさせる発言に、発憤させられた記憶が甦ってくる。そんな経験を積みながら、我ながら見よう見まねと若干オリジナリティを思考して、研修の立場に立ち9年を過ごして来たのだが、その時代には、今これをやらなくちゃダメだという明確な方向性があったと思う。

 ところが、私が損保を去る時代になり、新たに研修の立場に付くメンバーを伝え聞き、エッ、あんな自分がない人物に研修ができるのだろかという思いを何度か思ったものだった。このことは最近伝え聞く話しでも、近年損保は事業費圧縮に極めて神経を尖らせていることもあり、本体センター長クラスの研修など何十年この方やっていない、調査員研修も技能ランクアップのための研修はやっている様だが、もっと根源的な技量向上のための研修を10年近くやっていない会社も多いと云うことだ。そんな話しを聞きながら、私より大先輩のところへ、研修をやりたいのでお願いしますと最近話しがあったと云うが、何をやるんだいと問うと、今ここが欠けているからこの部分をやりたいという核心がないと、その先輩は嘆いていた。そんな中、私は、その大先輩に、現在の調査員はある意味御用聞き(メッセンジャーボーイ)だからして、その御用聞きで済ますことの罪を皮肉ってやれば良いではないですかと述べるのであった。


#研修の核心




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