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【書評】トヨタ中国の怪物

2024-04-20 | 論評、書評、映画評など
【書評】トヨタ中国の怪物
 この本を見て(やはり沼津施設図書館)での書評だ。


 この本は「トヨトミの世襲」とほとんど同じものだ。先社が「児玉博」だけで、本の内容はほとんど同一だ。但し、この本で満州生まれの「服部悦雄」というのが登場するだのだが、第2次対戦の2年前に満州生まれで、そのまま中国で育ち、日本に来たのは昭和45年であり、この時にトヨタ自動車販売に入っている。この時、上には奥田碩(ひろし)が居た。

 現在の所で、服部悦雄は81才、奥田碩は91才だ。このころのトヨタ自動車販売とは、上にトヨタ自工があり、トヨタ自動車販売とは各店の添付を見る言われる「フォールドマン」としての指令だった。この当時に奥田碩はフィリピンに6年位も位していて、多分その時の大統領は「フェルディナンド・マルコス」(1965-1986年)までだったが、奥田碩は大統領にもツーカーで会って居たと云う。そして、この当時、トヨタ自工は豊田章一郎がフィリピンに立ち寄る際は、奥田碩にフィリピンの事を聞いて廻った。

 だいたいにして豊田章一郎は、どてもしゃないがトヨタにとっての社長業は苦手であり、後の章男と同じ位のセースルセキルしかなかった。しかし、こんあ
フィリピンに奥田碩と云う男が居て、これは今後本体に引き上げるべきだという思いがあった。(後にトヨタ自工と販売は1982年7月にトヨタ自動車して)

 ところでこの本(トヨタ中国の怪物)は、中国での製造と利益を吸い上げられすと共に中国の国家の中に住み。それて、何故がお家の社長でたった2%に訳式で住する。

※初代プリウス(1999年12月・HK-NHW10)については、当時の奥田社長は2年前倒しでトヨタに発破を掛けた。今では、ハイブリットなどトヨタにとってもは当たり前のシステムに、同時のディーラーので説明で、価格220万円の車両に+150万円をONして売り出しだ。つまり、奥田のプリウスという車両は、未開の形を具現させだ。


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