先の大戦では、日本人の死者は概ね310万人に登ったと聞く。この内、軍人が210万で残り80万人が民間人ということになる。その民間人の多くは、日本本土内の無差別攻撃により生じているものと想像される。
空襲は戦争末期の昭和20年に入って著しく増加した様だ。首都東京は何度も繰り返し空襲を受けているが、昭和20年3月10日の夜間空襲では、極めて大規模かつ我が国の民間住宅が木造家屋と承知し巧妙に計画されたもので、爆弾で吹き飛ばすというより、焼夷弾を使用して大規模な火災により損害を生じめさせようとした、極めて悪意に満ちたものだった。この一晩の空襲で死亡者10万人、罹災者100万人を生じさせたと記録されている。一方、敗戦直前に、できたばかりの原爆が、広島および長崎に落とされた訳だが、その直撃で直ちに死亡したものは広島14万、長崎7万とされており、昭和20年末までに合計37万の死者を生み出したとされている。これらの大多数が民間人であろう。
しかし、彼らは原爆開発と実験を通して、一定その破壊力だとか生み出す損害について推察はあったと思われるが、躊躇なく2回の原爆投下を実行したのであろうか。その理由には、本土上陸作戦による米軍被害を防ぎたかったとか、実証実験により効果と影響を調べたかったとか、既に姿を現しつつあった米ソ対立への牽制使用であったとか、種々あるのだろう。しかし、多少は躊躇いもあったにせよ実行させたのは、結局のところ白人対有色人種という蔑視意識が根底にはあったことだけは確かだろう。
何がなんでも戦争絶対反対者からは、日本が無謀な戦端を開かなければ、原爆を落とされることもなかったという意見もあるだろう。しかし、その日本だって、好き好んで戦端を開いた訳ではない。迷いに迷って、もうこのままでは、日本の未来はない、どうせ植民地となり滅ぼされるのなら、勝てる見込みは絶対とは云えぬが、国を守ろうという一心で戦端を開かざるを得なかったといういう説を私は信じている。およそ世界に国際法という権力なき道徳を謳ったものがあるが、勝者のための法だ。前後開かれた東京裁判では、日本は徹底的に悪いと決めつけられ、先勝国の行った非人道的な東京大空襲とか2回の原爆投下のことは一切不問とされているのだ。ただ、この際、米国側弁護士の方(名前を失念した)が、「日本はおよそ防衛戦争だった」論を述べたそうだが、一切日本語への翻訳も禁じられ、封印されたそうだ。最終判決でも唯一インドのパール判事だけは、同様のことを述べているが、多数の前では否決されるということだ。戦時、米軍の総司令官だったマッカーサーは、朝鮮戦争において更迭され、米議会への引退公演の中で、先の東京裁判の弁護士と同様の「この戦争は概ね日本は防衛戦争だった」と述べている。
戦争反対者だとかアメリカの洗脳教育に染まった者からは、日本に総ての軍は不要であるとした意見があるが、およそ信じかねる思考だろうと思う。あの永世中立国を宣言しているスイスにだって、軍はあるし兵役すらあるそうだ。世の歴史を振り返っても、およそ自国防衛に無関心な国は、滅ぼされ植民地化され、歴史は分断され固有の文化も人々の暮らしも破壊されたまったく別の新たな国になってしまったという事例は、南米国家を見渡して見れば判るだろう。アジア諸国だって、先の大戦までは、米、英、蘭などの植民地だったのだ。それが、日本の進駐により敗戦後の独立を取り戻し得たのだ。
下記は、昨年記した、我が住まい地、沼津の昭和20年の空襲を伝える小記録のことなのだ。
戦時下の沼津のこと 2018-08-22
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/b8287cd9de2a7af41bb5152750dd795c
空襲は戦争末期の昭和20年に入って著しく増加した様だ。首都東京は何度も繰り返し空襲を受けているが、昭和20年3月10日の夜間空襲では、極めて大規模かつ我が国の民間住宅が木造家屋と承知し巧妙に計画されたもので、爆弾で吹き飛ばすというより、焼夷弾を使用して大規模な火災により損害を生じめさせようとした、極めて悪意に満ちたものだった。この一晩の空襲で死亡者10万人、罹災者100万人を生じさせたと記録されている。一方、敗戦直前に、できたばかりの原爆が、広島および長崎に落とされた訳だが、その直撃で直ちに死亡したものは広島14万、長崎7万とされており、昭和20年末までに合計37万の死者を生み出したとされている。これらの大多数が民間人であろう。
しかし、彼らは原爆開発と実験を通して、一定その破壊力だとか生み出す損害について推察はあったと思われるが、躊躇なく2回の原爆投下を実行したのであろうか。その理由には、本土上陸作戦による米軍被害を防ぎたかったとか、実証実験により効果と影響を調べたかったとか、既に姿を現しつつあった米ソ対立への牽制使用であったとか、種々あるのだろう。しかし、多少は躊躇いもあったにせよ実行させたのは、結局のところ白人対有色人種という蔑視意識が根底にはあったことだけは確かだろう。
何がなんでも戦争絶対反対者からは、日本が無謀な戦端を開かなければ、原爆を落とされることもなかったという意見もあるだろう。しかし、その日本だって、好き好んで戦端を開いた訳ではない。迷いに迷って、もうこのままでは、日本の未来はない、どうせ植民地となり滅ぼされるのなら、勝てる見込みは絶対とは云えぬが、国を守ろうという一心で戦端を開かざるを得なかったといういう説を私は信じている。およそ世界に国際法という権力なき道徳を謳ったものがあるが、勝者のための法だ。前後開かれた東京裁判では、日本は徹底的に悪いと決めつけられ、先勝国の行った非人道的な東京大空襲とか2回の原爆投下のことは一切不問とされているのだ。ただ、この際、米国側弁護士の方(名前を失念した)が、「日本はおよそ防衛戦争だった」論を述べたそうだが、一切日本語への翻訳も禁じられ、封印されたそうだ。最終判決でも唯一インドのパール判事だけは、同様のことを述べているが、多数の前では否決されるということだ。戦時、米軍の総司令官だったマッカーサーは、朝鮮戦争において更迭され、米議会への引退公演の中で、先の東京裁判の弁護士と同様の「この戦争は概ね日本は防衛戦争だった」と述べている。
戦争反対者だとかアメリカの洗脳教育に染まった者からは、日本に総ての軍は不要であるとした意見があるが、およそ信じかねる思考だろうと思う。あの永世中立国を宣言しているスイスにだって、軍はあるし兵役すらあるそうだ。世の歴史を振り返っても、およそ自国防衛に無関心な国は、滅ぼされ植民地化され、歴史は分断され固有の文化も人々の暮らしも破壊されたまったく別の新たな国になってしまったという事例は、南米国家を見渡して見れば判るだろう。アジア諸国だって、先の大戦までは、米、英、蘭などの植民地だったのだ。それが、日本の進駐により敗戦後の独立を取り戻し得たのだ。
下記は、昨年記した、我が住まい地、沼津の昭和20年の空襲を伝える小記録のことなのだ。
戦時下の沼津のこと 2018-08-22
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/b8287cd9de2a7af41bb5152750dd795c