先日も記した映画「男はつらいよ」シリーズの第7話DVDを、沼津図書館から借り出し見直してみた。過去に何度か見ているはずだが、全然記憶になかった情景が蘇って来て面白かった。
この映画は昭和46年(1971年)に封切りという映画だから、今から47年も前になる。映画に登場する沼津の場面は沼津駅付近がチラリと出てくるだけだが、夜の背景にニチイデパートの屋上看板が、その右手には西武の本館ビルらしきものが伺える。ニチイはビルこそ残っているが、真っ先にデパート撤退したし、県内で最後まで残っていた沼津西武も撤退し、本館ビルが取り壊されて既に久しい。沼津の他に近隣の富士市駅前通りだろうと思うけど出てくるが、結構人が歩いている。我が幼少の遙かな昔、つまりこの映画の当時の沼津も、正月休みとか日祭日など、駅前だとかアーケード商店街など、凄い人出だったものだ。それが、何処の地方都市も同じなんだろうけど、今や閑古鳥だ。時の移り変わりは凄まじいものだと唸らざるを得ない。
1970年に大阪万国博覧会が開催され、東名および名神高速道路も開通し、人々がなんとかマイカーが持てる時代にさしかかった頃だ。しかし、携帯もスマホもインターネットもなく、未だテレビも多くが白黒ブラウン管の時代だった。そして、今なら直る病気も死ぬしかなく、平均余命も今より短かったに違いない。だだ、当時より今の人々が幸せになっているだろうかと考えて見れば否だろう。確かに、医療テクノロジーとか衛生面は向上し物理的な余命は確実に向上して来たに違いないだろう。しかし、精神面で病み疲れ生き甲斐を失っている人々はずっと多くなっていると思わざるを得ないからだ。考えても見て欲しい、今の職場だとか学校において、まったく助け合いの精神のないという精神環境の悪化を見て、なんでこんな酷いことになっちゃたんだと嘆かざるを得ない。このことは別の機会に、もう少し掘り下げて記してみたい・・・。
この映画は昭和46年(1971年)に封切りという映画だから、今から47年も前になる。映画に登場する沼津の場面は沼津駅付近がチラリと出てくるだけだが、夜の背景にニチイデパートの屋上看板が、その右手には西武の本館ビルらしきものが伺える。ニチイはビルこそ残っているが、真っ先にデパート撤退したし、県内で最後まで残っていた沼津西武も撤退し、本館ビルが取り壊されて既に久しい。沼津の他に近隣の富士市駅前通りだろうと思うけど出てくるが、結構人が歩いている。我が幼少の遙かな昔、つまりこの映画の当時の沼津も、正月休みとか日祭日など、駅前だとかアーケード商店街など、凄い人出だったものだ。それが、何処の地方都市も同じなんだろうけど、今や閑古鳥だ。時の移り変わりは凄まじいものだと唸らざるを得ない。
1970年に大阪万国博覧会が開催され、東名および名神高速道路も開通し、人々がなんとかマイカーが持てる時代にさしかかった頃だ。しかし、携帯もスマホもインターネットもなく、未だテレビも多くが白黒ブラウン管の時代だった。そして、今なら直る病気も死ぬしかなく、平均余命も今より短かったに違いない。だだ、当時より今の人々が幸せになっているだろうかと考えて見れば否だろう。確かに、医療テクノロジーとか衛生面は向上し物理的な余命は確実に向上して来たに違いないだろう。しかし、精神面で病み疲れ生き甲斐を失っている人々はずっと多くなっていると思わざるを得ないからだ。考えても見て欲しい、今の職場だとか学校において、まったく助け合いの精神のないという精神環境の悪化を見て、なんでこんな酷いことになっちゃたんだと嘆かざるを得ない。このことは別の機会に、もう少し掘り下げて記してみたい・・・。