マスメディアや政党にもよるが、その思想の中で「あの、戦前の暗黒の時代・・・」という様な前置きで語る論調を繰り返すところがある。この語りを聞く都度、果たして戦前はそんな暗黒の時代だったのだろうかと疑問を思う。
確かに、先の大東亜戦争に入り1年ほどを過ぎて戦局が日本を不利にさせる傾向が大きくなって以来、統制経済とか米国の爆撃など、暗く厳しい時を過ごしたことはあっただろう。しかし、開戦の日となる1941年(昭和16年)12月8日のことを、彼の太宰治は添付の通り書き表している。文末の「うんと戦争の話しをしたい。やりましたわね。いよいよ始まったのねぇ、なんて」に、開戦を肯定する思いが記されている。
これは開戦のことだが、種々の書籍や残された写真を見るに付け、戦前が暗黒の時代だったとは到底思えない。故に戦前を暗黒史として語るには同意しかねる。
もう一つ、与党など保守勢力は、戦前を暗黒史まではしないが、あえてその引用を避けているかのごとく感じる。何故だろう?
現代社会は、どの国でも人種差別は悪と云うことになっているが、最近の米国での黒人逮捕死亡事件から暴動など、まだまだ差別の残照は根強いことを感じる。その様な前提で、1918年(大正7年)に、我が国はパリ会議の国際連盟委員会において、人種差別撤廃提案をしていることは知っておく必用があると思える。ただし、この提案は英国などの強い反対と、米国の全員一致でなければ可決できないという消極的発言で消された。ここで何を訴えたいのかだが、戦前の方が独立国家としての気風に溢れた発言、行動があったことを示したい。
これに比べると、現代日本は、確かに敗戦国だからしょうもないと笑うしかないのだろうが、本当に独立国かと感じることは多い。だいたい政府だとか官僚上層部は、米国にビクビクし、媚びへつらうのは醜い姿だ。ここに、保守側でも戦前を引用できない起点の一つがあると想像する。
確かに、先の大東亜戦争に入り1年ほどを過ぎて戦局が日本を不利にさせる傾向が大きくなって以来、統制経済とか米国の爆撃など、暗く厳しい時を過ごしたことはあっただろう。しかし、開戦の日となる1941年(昭和16年)12月8日のことを、彼の太宰治は添付の通り書き表している。文末の「うんと戦争の話しをしたい。やりましたわね。いよいよ始まったのねぇ、なんて」に、開戦を肯定する思いが記されている。
これは開戦のことだが、種々の書籍や残された写真を見るに付け、戦前が暗黒の時代だったとは到底思えない。故に戦前を暗黒史として語るには同意しかねる。
もう一つ、与党など保守勢力は、戦前を暗黒史まではしないが、あえてその引用を避けているかのごとく感じる。何故だろう?
現代社会は、どの国でも人種差別は悪と云うことになっているが、最近の米国での黒人逮捕死亡事件から暴動など、まだまだ差別の残照は根強いことを感じる。その様な前提で、1918年(大正7年)に、我が国はパリ会議の国際連盟委員会において、人種差別撤廃提案をしていることは知っておく必用があると思える。ただし、この提案は英国などの強い反対と、米国の全員一致でなければ可決できないという消極的発言で消された。ここで何を訴えたいのかだが、戦前の方が独立国家としての気風に溢れた発言、行動があったことを示したい。
これに比べると、現代日本は、確かに敗戦国だからしょうもないと笑うしかないのだろうが、本当に独立国かと感じることは多い。だいたい政府だとか官僚上層部は、米国にビクビクし、媚びへつらうのは醜い姿だ。ここに、保守側でも戦前を引用できない起点の一つがあると想像する。