これは、アジャスターに限らないのかもしれませんが、ものごとに対峙する時、マクロ的な視点が取り分け重要となろうと云うことだと思います。マクロ的とは、日本語で言えば巨視的と云うことであり、事物を全体的に観察することを指します。
このマクロ的に対語としてミクロ的(微視的)という見方がある訳ですが、これを否定する訳ではありませんが、あくまでもマクロ的な見方を前提としての、更なるミクロ的な見方での裏付けというのが、ものごとを正確に捕まえるための一般的なセオリーとなるのだろうと思います。
しかし、現実にはマクロ的な視点を御座なりにし、ミクロな視点だけで、ものごとを判断しようとする傾向が高い様に思われる場合が少なくありません。そんな視点になりがちな理由は幾つも想定されるのですが、その一つとしてそもそも教育を担当する者に、マクロ的な視点が抜け落ちていることを感じることが時々あります。そんな場合として多いのが、整合性に関わる教育での場面だと思います。
整合性の確認は、アジャスターであればどの会社に所属していようと、その重要性を認識していることと思います。しかし、なんで重要なのかと問うた時、「ロス(損害率)が悪化するから」みたいに思っている者も多いのではないでしょうか。整合性の確認とは、届けられた事故の真偽性を判断することであるのですが、これは損害保険の根幹たる「公正・公平を担保」するために重要であり欠かせないものだからなのです。
つまり、損害保険は一部の例外を除き、偶然・外来の事故を補償するものであって、偶然性のないものや外来でなく内在していたもの、そして事故でなく事件となるようなものは、支払い対象から除外されなければならないのです。この様な本来支払い対象とならないものを安易に支払ったとしたら、良心を持った善良なる契約者に対し、極めて不公平を与えることになるでしょう。
さて、この様な整合性に関わる調査の教育の場面において、例えばキズの極一部のクローズアップを観察して、その入力方向を判断させている様な場面を時々見ます。その様な研修を得意げに行う講師を、冷ややかに眺めてしまう場面があるんですが、ミクロ的な観察を否定する訳ではないのですが、あくまでもマクロ的な観察を前提とした上でのものであることが重要だと感じています。