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原発危機から12年・あまり意識されない他の原発での危機

2023-03-11 | コラム
原発危機から12年・あまり意識されない他の原発での危機
 12年前の今日(311)、東電福島1原発は全電源喪失から、6つの原子炉中の4つで、正に危険状態となり、実際のところ3つの原子炉でメルトダウンして部厚い鋼鉄製の原子炉圧力容器の底が溶け落ちており、周辺の多量の放射性物質をまき散らし、未だ帰宅困難者が3万人余存在し、ゴーストタウン化した帰宅困難地が広大にあるという現実を意識しない訳にはいかないだろう。
 ところで、この福島1原発の他にも、かろうじて最悪の被害はでなかったが、それぞれ今一つ津波が高いとか、最悪の場合には福島1と同様の状態になっていいたことを意識する必用があるのではないだろうか。

 以下はwiki記述より311当日以降の福島1以外の2つの原発の様子を抜き出したものだが、福島1だけで済んだ(済んではおらず最終解決はおそらく世紀を超えるだろう)のは、単に運が良かったに過ぎないことを国民は意識する必用があると思える。それを、再開して無期限延長に近いことまで許す論議を出すとは、懲りない国家と笑い者だろう。


福島第二原子力発電所・東日本大震災とその後
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、3本の送電系統のうち原子炉建屋に繋がる2本を喪失、その後の津波の影響で、一部の非常用ディーゼル発電機が機能を喪失し1、2、4号機でRHRを含む原子炉の冷却機能が喪失したため、18時33分に通報(いわゆる10条通報)が行われた。
3月12日5時22分、1号機のS/C温度が100℃を超えたため、5時48分、原子力災害対策特別措置法に基づく緊急通報(いわゆる15条通報)が行なわれ、原子力緊急事態宣言が発令された[10][11]。
3月13日 外部電源が唯一生き残った廃棄物処理建屋から海水熱交換器建屋まで僅か200人で通常なら1ヶ月かかる作業を1日で総延長9kmにも及ぶ決死のケーブル敷設作業を行った結果、13日深夜、1号機でベントまで残り2時間というところで電源が繋がりまもなく冷却機能が復活した。
3月15日、全ての原子炉が「冷温停止」状態となり、安全に停止したことが発表された[12]。
3月18日、原子力安全・保安院は、1、2、4号機においてINESレベル3(重大な異常事象)の暫定評価結果を示した。
3月30日午後5時56分頃、1号機タービン建屋1階の分電盤付近から煙が出ているのを作業員が発見、消防に通報した。なお午後6時18分の時点では、煙は確認されていない。
3月31日、街宣車が侵入して構内を約10分間走り回った。福島県警双葉警察署はこの街宣車を運転していた男を逮捕した。
12月26日、内閣総理大臣により当所の原子力緊急事態解除が宣言され、原子力災害対策特別措置法に基づく原子力災害事後対策の実施段階に移行した。
2012年2月8日、震災後報道陣に初めて公開された。震災時の津波の高さは9mあり浸水は建屋の一部にとどまったが、原子炉冷却用海水ポンプ4基中3基が一時危険な状態に陥った。つまり、津波のため、原子炉の除熱に必要な海水ポンプ3基と、それらの電源が海水に水没した。ただ、外部からの高圧電源の1回線が生きており原子炉の温度、圧力や水位などの把握は可能であった。地震が土・日曜日であれば当直など40人であったが、事故は金曜日であり約2000人が働いており、総延長9kmケーブルを人力でつなぎ合わせ仮設電源も確保でき、事故4日後に冷温停止に至る対処が行えた。当時からの所長は「福島第一原子力発電所事故の炉心溶融と同様の事態になるまでに紙一重のところだった」と明かした。
2012年10月1日から4号機の燃料移動作業が行われていた。10月24日午後に全燃料集合体の使用済燃料プールへの移動が完了した。
2015年3月24日、福島第二原発3号機の原子炉内にあった燃料764体の使用済燃料プールへの移送を完了したと東京電力が発表した。これで1 - 4号機の全ての原子炉内燃料が空になった。
2018年6月14日、東京電力ホールディングス社長の小早川智明は、福島県庁で福島県知事内堀雅雄と面会し、福島第二原発について「運転再開せず全基廃炉の方向で具体的な検討に入りたい」と表明し、続いて記者会見で報道陣にも表明し、翌日、経済産業大臣世耕弘成と経済産業省で会談して説明した。
2018年11月30日、東京電力ホールディングスは福島第二原子力発電所のPR施設であったエネルギー館を転用した「東京電力廃炉資料館」を開館した。
2019年7月31日、東京電力ホールディングスは福島第二原子力発電所の廃止を正式決定し、今後は廃炉に向けて取り組んでいくことを発表した。
2019年9月30日、1 - 4号機が電気事業法上廃止された。
2021年5月、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所でテロ対策に重大な問題があったことを受けて、原子力規制委員会が全国の原発を調べたところ、福島県にある東京電力の福島第二原子力発電所でもテロ対策上の不備があったことが分かった。
2022年3月16日午後11時36分頃の福島県沖の地震で、1、3号機の使用済み核燃料プールの冷却ポンプが停止。翌17日午前1時40分頃に復旧。


日本原電・東海第二発電所・東日本大震災での状態
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、原子炉が自動停止した。常用の外部電源も停止したことから、非常用ディーゼル発電機3台を起動して運転に必要な電源を確保したが、津波によってディーゼル発電機用海水ポンプが故障したため、残るディーゼル発電機2台で原子炉冷却に必要な電源を確保した。その後、外部予備電源が回復し、3月15日0時40分(JST)に原子炉水温度が100℃未満の冷温停止状態となったことを確認した。その間は注水と、水蒸気を逃がすための弁操作の綱渡り的な繰り返しで、冷温停止までにかかった時間も通常の2倍以上であった。
しかし、高さ6.1m(想定津波5.7m)の防波壁に到達した津波の高さは5.4mで、工事中のため防波壁には穴が開いていた。その穴から入った海水によって、全3台の海水ポンプが水没(2台は水深が低かったため稼働)し、非常用ディーゼル発電機1台も停止した。原子炉は冷却し続けられたが、もう少し波が高かったら、全ての電源が潰滅し、福島第一原発と同じ状態になっていたという。日本原電は、「(冷却機能が全て失われた)福島第一の事態になった可能性は否定できない」と述べている。


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