【書評】短現の研究
この「短現」とは俗称で、正式には「短期現役兵」というのだが、時は先の戦争直前から敗戦まで、海軍で採用されていた制度なのだ。つまりるところ、当時の海軍は、人員構成として、中堅士官たる尉官クラス(大尉で一般企業で課長が相当するだろう)、それも主計とかロジステクスを担当するリーダー不足が生じていたという。それを補充する目的で、一流大学卒の官民組織に入社したばかりの優秀な人材を引き抜き当てると云うことを考えたそうだ。ただし、そのまま海軍在籍させると、将来的にもっと上級職の佐官とか将官層の人数過大になり処遇に困るという事態が予想されることもあり、2年の軍隊生活を前提として、そこで元の出身母体となる官民組織に戻す前提で採用したのが「短現」という採用者だったということを、初めてこの本で知った。
創設以来、敗戦までに短現卒業者は3千名余に至ったという。その短現者の採用倍率は30倍(30名に1人)近くに達しることと、そもそも東大などを筆頭とする一流大学の、経済学部や法学部を中心としたどちらかと云えば理系でなく文系の卒業者を対象とした様だ。そこで、当時の海軍経理学校に特別枠を設定し入校されるが、入校と同時に採用者は「中尉」に任官されたという。そして、教育機関は半年にも満たず3、4カ月という短さだったという。
ここでの教育内容は、本には種々記されているが、私が表現すれば米映画「トップガン」(当初のオリジナル)での場面で、トップガン養成校で教官が受講生に述べる「君らは選ばれた者だ、しかし、それをさらに決定的に育てる」という気風があったのではないかと想像する。ただし、トップガンのは頭脳と云うより戦闘機操縦というテクニカルなものだが、この「短現」では中堅将校としての部下の用い方とかリーダーたるべき矜持という精神的なものであろう。
「短現」採用者は、入校時で25才前後、敗戦時でも未だ30前後の者が多かったと想像できる。現在前後77年だから現在では100を越えるため、ほとんど亡くなってしまっていると思えるが、1960年から1980年までの、大企業や官僚組織、一部政界にも、この「短現」卒者は、当時のトップリーダーとして、相当数が活躍した歴史があるというのだ。
それは何故かと云うことだが、司馬遼太郎という作家の本は20代から30代前半まで、相当数読んで来たのだが、本人は陸軍戦車兵(と云えども士官)なのだが、陸軍の愚劣さへの悔恨もあったのだろうが、やたら海軍を美化する風情があるのだが、私に云わせりゃどっちも愚劣で、海軍も大マヌケな組織だったと思っているのだが、そういう海軍大学等を卒業した、ある意味洗脳教育に毒されず、育った「短現」卒業生は、リベラルな気風で実業界でリーダーとして活躍できたという側面があったのだろうと想像している。
短現者の海軍での活動だが、主計として予算書の作成、文書記録、ロジステクスとしての意見書作成など当然だが、ある場合は、20代後半で外地で配下数百名のトップとして、農園経営とかを任される場合もあったと云う。戦後は、名だたる大企業の社長もしくは副社長クラスになった者が多いと云うが、特に商社関係で活躍した者が多いという。政治家になった者も幾らかいるが、鳩山威一郎(由起夫の父)とか松野頼三、中曽根康弘当りがいる。
この「短現」とは俗称で、正式には「短期現役兵」というのだが、時は先の戦争直前から敗戦まで、海軍で採用されていた制度なのだ。つまりるところ、当時の海軍は、人員構成として、中堅士官たる尉官クラス(大尉で一般企業で課長が相当するだろう)、それも主計とかロジステクスを担当するリーダー不足が生じていたという。それを補充する目的で、一流大学卒の官民組織に入社したばかりの優秀な人材を引き抜き当てると云うことを考えたそうだ。ただし、そのまま海軍在籍させると、将来的にもっと上級職の佐官とか将官層の人数過大になり処遇に困るという事態が予想されることもあり、2年の軍隊生活を前提として、そこで元の出身母体となる官民組織に戻す前提で採用したのが「短現」という採用者だったということを、初めてこの本で知った。
創設以来、敗戦までに短現卒業者は3千名余に至ったという。その短現者の採用倍率は30倍(30名に1人)近くに達しることと、そもそも東大などを筆頭とする一流大学の、経済学部や法学部を中心としたどちらかと云えば理系でなく文系の卒業者を対象とした様だ。そこで、当時の海軍経理学校に特別枠を設定し入校されるが、入校と同時に採用者は「中尉」に任官されたという。そして、教育機関は半年にも満たず3、4カ月という短さだったという。
ここでの教育内容は、本には種々記されているが、私が表現すれば米映画「トップガン」(当初のオリジナル)での場面で、トップガン養成校で教官が受講生に述べる「君らは選ばれた者だ、しかし、それをさらに決定的に育てる」という気風があったのではないかと想像する。ただし、トップガンのは頭脳と云うより戦闘機操縦というテクニカルなものだが、この「短現」では中堅将校としての部下の用い方とかリーダーたるべき矜持という精神的なものであろう。
「短現」採用者は、入校時で25才前後、敗戦時でも未だ30前後の者が多かったと想像できる。現在前後77年だから現在では100を越えるため、ほとんど亡くなってしまっていると思えるが、1960年から1980年までの、大企業や官僚組織、一部政界にも、この「短現」卒者は、当時のトップリーダーとして、相当数が活躍した歴史があるというのだ。
それは何故かと云うことだが、司馬遼太郎という作家の本は20代から30代前半まで、相当数読んで来たのだが、本人は陸軍戦車兵(と云えども士官)なのだが、陸軍の愚劣さへの悔恨もあったのだろうが、やたら海軍を美化する風情があるのだが、私に云わせりゃどっちも愚劣で、海軍も大マヌケな組織だったと思っているのだが、そういう海軍大学等を卒業した、ある意味洗脳教育に毒されず、育った「短現」卒業生は、リベラルな気風で実業界でリーダーとして活躍できたという側面があったのだろうと想像している。
短現者の海軍での活動だが、主計として予算書の作成、文書記録、ロジステクスとしての意見書作成など当然だが、ある場合は、20代後半で外地で配下数百名のトップとして、農園経営とかを任される場合もあったと云う。戦後は、名だたる大企業の社長もしくは副社長クラスになった者が多いと云うが、特に商社関係で活躍した者が多いという。政治家になった者も幾らかいるが、鳩山威一郎(由起夫の父)とか松野頼三、中曽根康弘当りがいる。