私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

東京裁判史観のこと

2019-03-17 | コラム
 様々な論評などで、東京裁判史観なる言葉を聞いたことがあるという方は多いだろうと思います。しかし、それがどのような実相を持つものか理解していないか、色々とおかしいなと思いつつ、あえてそういうものだと思いこませて納得している場合も多いのだろうと思います。ここでは、昨今も圧力が高まっている韓国(南北)や中国との関係、そしてこれは旧来のことですが、いつもいつもそこまで下僕みたいにへつらう様に頼らざるを得ないのが対米関係なのかなどということの訳が判ってくると思うので、ちょっとだけ知る知識から記してみたいと思います。

 そもそも戦後生まれの我々は、小・中・高学校の歴史の時間でも、近代史はほとんど授業で習って来なかったと思いますし、教科書眺めても近代史は数ページでさらっと記してあるだけです。そんな中で皆が思うことは、日本はなんであんな馬鹿な戦争を引き起こしたんだ。軍国主義が行き着いた酷い時代だったんだなぁと思う方が普通でしょう。おまけに、負ける判ってもぐずぐずと抗戦し続け、東京大空襲で1晩で10万人、広島と長崎の原爆投下で20万人といいうほとんど一般民間人の死者を与えられたのです。なんという民主主義のない酷い時代だったんだと自虐史観を持って自国を呪う訳なんですね。この様な思考は、今でも多くの日本人に共通するのだと思いますが、東京裁判史観というものを理解することで、大きく変わると信じます。そして、このことを理解し、ものごとを思考していくことが、日本が真の自律国家として、国民の安寧を保っていくには絶対理解しておかなければならない内容だと信じ、概要を記してみます。

 まず東京裁判とは先の大戦(大東亜戦争)に敗戦し、乗り込んできた米国を中心とした占領軍(GHQ)が戦後日本人戦争犯罪人を一方的に裁いた極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)のことを指します。この東京裁判では、それぞれの罪状に応じてABCなどの等級が与えられ裁かれたのでした。この中で、最終的に極刑と判決されたのがA級戦犯は東条英機はじめの7名で、直ちに刑は巣鴨拘置所刑場で執行されたのでした。

 およそ誰だって、勝者が敗者を一方的に裁く裁判に客観妥当性を求めるのは不可能なことは理解するでしょう。裁判直後は非公開とされたそうですが、判事の1人となったインドのパール判事は、この裁判は無効であって、被告人は全員無罪と述べたと言われています。また、極刑の理由とされた「平和に対する罪」という罪状は、この裁判まで国際法に規定はなく、裁判開廷後に作られた事後法だったということです。通常民主主義下において、法とは現在進行の事件を裁くための事後法は認められないというのが、各国の共通認識だったにも関わらずです。

 何れにせよ、本裁判において日本は侵略国家であり、中国、台湾、朝鮮、インドシナなどを植民地政策を押し進め、米国にも不意打ちたる戦争を仕掛けた軍事独裁国家だったと決めつけられたのです。これらの国は、中国と朝鮮を除いては、米、英、オランダの植民地となっていたものが、戦後独立する切っ掛けとなったことは忘れてはなりません。まだまだ、記したいことは多いですが、感心ある方はNetに様々な真実がありますので、是非確認下さい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。