私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

トラック架装の今昔

2018-07-11 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 貨物車とかバスなどに触れる方なら、その何処かに写真のラベルを見知っている方も多いだろう。この、JABIAとは(一般社団法人)日本自動車車体工業会のラベルだ。この組織のHPは以下だが、我が住い地には、山田車体工業(株)というアルミバンボデーを作っている企業があるが、10年ほど前までにはパブコ(元加藤車体として沼津に設立し隣接地たる長泉町で稼働)もあったのだが、本社共々、神奈川県海老名市に集約されてしまった。

 この車体工業会の名簿を見ていると、当然のごとく全トラック・バス車両メーカーや名立たる知名度の高い特装架装メーカー(これら製造関係は正会員)と保守修理を行う車体工場(準会員)が加盟していることが判る。

(一般社団法人)日本自動車車体工業会 http://jabia.or.jp/

 さて、今回、今昔という表題として、昔のことを知れる範囲で記してみたい。今や乗用車専業メーカーとなった世界最大の(といってよいだろう)トヨタ自動車だが、今でも2、3トンクラスのダイナ、トヨエースまでを自社ブランドとして販売しているが、これらは日野自動車のOEMであることは承知の通りだ。しかし、かつてはこれらも、自社で作っていたし、もっと以前は大型トラックや大型バスのジャンルまで自前で作って来たのだ。例えば、初代ダイナの販売時頃までは、マッシーダイナという大型が存在した。ディーラーの4台積み積載車などは、これに架装していたものだ。とはいえ、メーカー出荷状態では写真のごとくで、エンジンフードとメーターパネルまでの半完成状態で、それ以後の車体はフレームむき出しのものだった。これに応急的にテールランプとディーラーナンバーで、運転手はミカンなどの木製箱をシート代わりにして、自走陸送でメーカープラントからボデー架装工場もしくはディーラー新車配送センターなどに運んでいたのだ。今は、俗に云われるキャブ付きシャシーの状態で同様に陸送しているのだが、運転手の過酷さは想像しただけでも誰でも想像がつくだろう。

 ということで、先の架装工場に届いた運転台なし車両は、運転台を含め、後部荷台も顧客の要請に従って製作するということになる。架装工場では、それら作業を行うについて、部門別に特化した区分を持っていた様に思う。それは、直接知るところではないが、聞く話と想像を合わせ以下の様な感じではないだろうか。

・板金工(屋)  キャブや荷台煽りの鉄板部分を作る者。
・木骨工(屋)  キャブの骨組みや、荷台の縦横根太、床張り板の製作者。(俗称:自動車大工)
・電気工(屋)  電気廻りの備品取り付けやハーネス製作者。
・シート工(屋) 運転席シートやドア内張、荷台のカバーなど、主にビニールレザー品の製作者。
・塗装工(屋)  キャブや荷台の塗装仕上げ者。

 これらの区分は、架装メーカー内だけのものでなく、街の自動車車体修理業にも屋号として広く普及していった。今でも、〇〇板金だとか〇〇塗装という屋号だけど、板金から塗装まですべて行うというところがほとんどだろうが、昔はそれしかやらなかったということなのだ。なお、この時代、車両の一般的な整備屋は俗称エンジン屋と呼ばれていた様だ。また、シート屋は、テント屋とも呼ばれ、クルマの内装修理なども請け負うというところが皆さんの街にもあることだろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。